tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

中国語と私

台湾語について書いておきながら、中国語について書かないのは自分の中にもやもやが残るので、ここでは中国語について書いてみたい。

台湾語 - tortillaの日記

 私が「中国語」という言葉は北京語、マンダリンなどとも呼ばれる。中国語では普通話(大陸)、國語(台湾)と呼ばれる。
高校卒業後に初めて中国へ行った時から、中国語を勉強したいと思い始めた。幸い、大学の第二外国語で中国語を選択できたので、それ以来もう10年ほど中国語と付き合っている。

私が習った中国語は全て大陸(特に北方)の中国語だと思っている。大学時代、中国留学時代の先生は大陸(ほぼ北方)出身か大陸に留学経験または大陸のことを研究している先生だった。

私の感覚では大陸の中国語(普通話)と台湾の中国語(国語)は関西弁・関東弁のような違いだ。使う単語や発音は違うけれど、意思疎通は可能。そんな感じである。あとは字が違う。大陸では簡体字、台湾では繁体字が使われている。

前の記事でも少し触れた。

初めての台湾 - tortillaの日記

私の中国語の習得方法は大量の耳からのインプットと必要に迫られてのアウトプットなので、文法が苦手だ。だから、人に中国語を教えることは苦手だし、自分の表現がどれだけ正しいのかもよくわからない。
大学での講義は当時先生が開発していたパソコン教材を使ったのもだったので、文法の講義を聞いたことはほとんどなく、教科書の文法解説も全く読んだことがない。ただ毎回パソコンの前に座って(リスニング・並び替えの作文・単文、長文のディクテーション)の課題をひたすらやっていくというものだった。宿題も大量で、しかも当時の私はタイピングの遅さはずば抜けていて、答えがわかっていてもタイプが遅く、課題をクリアするのにかなりの時間がかかった。そんなおかげで毎日のように中国語に触れていたので、例文は全部暗記できたし、骨格のぶぶんはそのままにして単語を替えて自分で作文を作ったりしていた。習っていた字は簡体字だったし、字を覚えることは簡単だった。

留学時代は語学センターの規模が小さく、初心者、中級、上級のクラスしかなかったので、中級のクラスに入った。クラスではわからない文法がよくわからない中国語で説明されていたが、勉強のスタイルは変えられず、同じように聞いて聞いて聞いた。アウトプットでは仲の良かった中国人の友人にもだいぶ助けてもらった。留学先の大学で知り合った子と週に1回言語交換をしたり、別の友人を通じた知り合った友人と毎日のようにチャットをしていた。チャットに没頭しすぎたおかげで、留学後期の成績は微妙だったが、アウトプットの訓練ができたのはよかったと思っている。

その後、1年数か月ほど日本で生活し、台湾へ渡った。

台湾へ来たばかりの頃は中国語を話すとよく、「中国の中国語だ」と笑われたものだった。巻き舌音が多い北方の中国語を勉強していたのでしかたがなかったが、当時は矯正しようと意識していた。数か月前、留学時代の友人と久々に中国語で会話をしたら、「台湾の中国語になっている」と言われてしまった。リスニングを重視…と言うよりも聞いたことをまねするという勉強法は一貫していたし、仕方がないのかなと思っている。
書くことについては繁体字は読めるがあまり書けない。簡体字は書けるが、ぱっと出てこない。状態になってしまって、中国語でメモするときは簡体字繁体字、日本の漢字それにピンインと呼ばれるアルファベットでの発音表記がごちゃ混ぜになったメモを書いている。人には見せられないので、書くことに対しては強い苦手意識がある。

書いているうちに自分の中国語学習歴になってしまった。

今年の目標と振り返り

今年もあと1ヶ月だ。ちょっとした時間があって、今年書いたブログを読み返していたけれど、いろいろあった年だったな。と思う。それらがあるから、今の自分がいたり、今の生活があったりするわけで、どんな自分でも否定することはしたくない。書きかけのことや書いておきたいけど書いていないことなどを書いて、総括してから新しい年を迎えたいな。と思っている。

今週のお題「2017年にやりたいこと」 - tortillaの日記


今年一番の目標だったはずの「年末年始に実家に帰る」は達成しない予定だ。帰りたいのはやまやまだけど、今年は5、9、11月と3回帰省したので、予算がないというのが正直なところ。これは引き続き、来年の目標に設定する予定。夫の同意も得ているので、叶いそうだ。と年始に言っていた言葉を繰り返しておく。

2つ目の目標「1人で車に乗れるようになる」
これも達成できたとは言いがたい。先月実家近くで初めて1人で運転したが、怖すぎて、5分くらいでgive up。最寄駅から、駐車場まで運転するつもりだったが、1人で駐車できる気がしなかったので、まず家に帰って助っ人の要請をした…。情けない。台湾に帰ったあと、夫教官の元で練習中。これも来年へ持ち越し。

3つ目の目標「結婚式について何かしら話を進める」
達成できた。11月に実家近くで小規模の披露宴をした。台湾ではしないことに決めたので、結婚式に関することは終わった。結婚後約1年9ヶ月。やっとここまで来れたのは、安堵と嬉しさと感謝と…まぁ、色んな感情が渦巻く。これについては1つの記事にしたいと思う。

目標についてはこんなところだ。

恩師

先月実家へ帰ったとき、恩師に会いに行った。

高校1年のときに現代文を教わった先生で、とにかく大好きな先生だった。
なんと言っても話が面白かった。言葉に関するいろいろなことを知っていて、それだけでなく、理科社会など教養がある人だった。まじめ腐った人ではなく、話し方も上手で、ずっと話を聞いていたくなるような話し方だった。板書の字は汚いし、要点だけ書くので、何を書いているかよくわからないし、文章読解の方法を教えてくれるわけでもなかったが、ただ、話がおもしろかった。「評論文が読めない奴は高校3年間で読めるようになるはずがない。おばさんになれば読めるようになる。」そんなようなことを言っていた。私は現代文ができなかったが、その話を聞いて素直にあきらめた。どのくらいできなかったかというと、いつもクラス40人中、30位台、だいたい35位以下だった。何かの拍子でクラスの平均点が取れた時は、大学に合格した時よりも嬉しかった。

先生の専門は漢文で、毎朝8:00~、10分間「論語」の素読をしていた。白文を見ながら、先生が読んだとおりに読む。そして、解説を一つか二つ。それだけだ。1年から素読の存在は知っていたが、朝が苦手だったので、通うことはなかった。2年の文化祭が終わり、高校生活もあと半分か...。と思い至った時、一念発起して通うことにした。漢文が役に立つ、立たないというよりもただ、先生に会いたい、話が聞きたいという理由だけだった。

読んでみると、なかなか面白かった。書き下し文の言葉のリズムが心地よく、書いてある内容もなかなか面白い。神を絶対視するのではなく、そこから一歩引いて、人の行いに重点を置く、そんな思想が紀元前にあったことが興味深かった。そこから大学の専門も決め、紆余曲折を経て、先生の後輩になることまでできた。卒業してからも、ときどき連絡を取っている。

要するに、先生は私にとって憧れの人だ。
それは今でも変わらない。時々先生の話が聞きたくなる。先生は連絡すれば、返してくれるし、会いたいと言えば会ってくれる。
今回もいつものように、食事をしながら、先生が限界集落に行った話やアメリカに行った話をしてくれた。教養はお金にならないけれど、人生を豊かにしてくれる。そんなことを思い出させてくれた時間だった。自分が歩んできた道は間違っていない。と確認するために、私は先生に会いに行くのかもしれないなと思った。