tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

幻のゴールデンウィーク

去年は日本のゴールデンウィークの恩恵を受けたが、今年はそれもなさそうだ。

今週のお題「ゴールデンウィーク2016」再会 - tortillaの日記

台湾ではメーデー(労働節)が休みなので、今年は4/29-5/1、三連休になる。私が働いている塾(語学学校)では(英語を教えている)キリスト教徒の先生に配慮してか、5/1の休みを12/25に振り替えているので、私にとっては通常の休日と変わらない。

ゴールデンウィークといえば、今私が使っている日本語の教科書に「ゴールデンウィーク」という単語が出てくる。  

教科書の設定は学校の年間スケジュールについて教師と学生で話すという場面だ。動詞を初めて勉強する課で、初級のはじめのレベルだ。

ゴールデンウィーク、何をしますか?

公園でバーベキューをします。

こんな場面で使われる。

日本で生活している学習者にとって「ゴールデンウィーク」は生活に欠かせない単語だと思うが、こちらの学生の生活からは遠い単語だ。「黄金週」という中国語訳もあるが、大陸の1週間ほど続く休みを表す言葉なので、訳だけでは済ませられない。

授業では簡単にゴールデンウィークの祝日を紹介することにしている。「昭和天皇の誕生日、憲法記念日、こどもの日(端午の節句)…休みと休みの間のみどりの日…。」

端午の節句はどうして5/5なんですか?」という質問もよくある。「じゃあ、台湾の端午節は旧暦の何月何日ですか?」と聞き返すと大半の学生が納得する。昔からの年中行事に関しては旧暦を使うので、ピンと来ないようだ。

その後、もっと関心がある学生からは「どうして端午の節句がこどもの日なんですか?」という質問が来る。端午の節句は名前こそ同じだが、することはまるで違うので、レベルと学生の興味関心に合わせて解説する。このことについては機会があればひとつの記事にしたい。

2、3日前、「日本では今9連休なんですね!ニュースで見ましたよ!」と学生に話題を振られた。台湾では大きなニュースがなくても、日本の様子を毎日のように報道している。その学生は「いいですね〜私たちは毎日仕事です。」と話を続けた。そう、私たちは毎日仕事だ。

私たちにとってゴールデンウィークは遠い出来事、教科書に出てくるさほど重要でない単語なのである。

今週のお題ゴールデンウィーク2017」

春の空は継母の心のよう

最近の天気は暑くなったり、涼しくなったり、急に雨が降ったり、カンカン照りになったり、と変わりやすい。端午の節句(台湾では旧暦の5月5日)まではそんな日々が続くが、それを過ぎれば本格的な長~い夏が待っている。
今日、たまたま授業で天気の話になり、台湾語には「春の天気は継母の気分のように変わりやすい」という言葉があると聞いた。日本語で言う、「女心と秋の空」、「男心と秋の空」そんな意味の言葉だろう。

私もいちおう継母なので、「やっぱ継母のイメージってそんなもんなんだよな」と思った。
継母と聞いて真っ先に思い付くのは「シンデレラのお母さん」だ。シンデレラのお母さんには自分の連れ子もいて、その子たちもシンデレラにつらく当たる。
グリム童話のひとつ、「ヘンゼルとグレーテル」の中で、ヘンゼルとグレーテルを捨てるのは母親だったが、それでは残酷すぎるということで継母にしたというエピソードもあるらしい。継母だったら残酷でも許されるのか…。
まぁ、とにかく印象が悪い。
母の愛情の偉大さを演出する道具としての継母だろうか。

昔はそんなイメージにうんざりしたこともあったが、今ではどうでもよくなった。

同じ継母というくくりでも、連れ子との関係は実に様々だから、自分が子どもと夫とどんな関係を築きたいかが重要だと思うようになった。
私の場合は、子どもたちは母親と連絡を取ったり、会ったりしているし、生まれたときから世話をしてくれているおばあちゃん(義母)も一緒に住んでいるので、母親になろうとすると自分が壊れてしまう。だから、私は子どもが私のことを家族だと認めてくれればそれでいいと思っている。

良し悪しあるけど、今はそれが一番丸く収まりそうだと思っている。

今週のお題「部活動」

 中学校、高校と剣道部に入っていて、部活三昧の日々を送っていた。

 剣道部に入った動機は単純で、見学に行った剣道部がかっこよかったからだ。小学校の頃は地域のソフトバレーボールクラブに参加していて、バレー部に入る気満々だった。部活見学の1日目、バレー部は外練(体育館はバスケ部が使うので、外でランニングやトレーニングをする)だったので、バレー仲間となぜか剣道部を見に行こうということになり、見に行った剣道部に一目ぼれしたのだった。顧問は素人で、地域の剣道クラブの先生がときどき練習を見に来てくれていたが、弱小のチームだった。

 高校でも続けたのはどうしてだか忘れてしまったが、高校でも3年間、剣道部に所属していた。高校の剣道部は決して大きい部ではなかったが、顧問は剣道をしている先生だったし、先輩・同期には小さいころからやっている人や中学時代に関東大会や県大会に出場した経験がある人もいたので、中学の頃とは違う、新鮮な環境だった。

 1つ上の先輩が引退し、自分たちの代になると、私はなぜか副部長に選ばれ、悶々としていた。部長は誰もが認めるリーダーシップと技術があった。「私は下手だし、人をまとめるのは苦手です、どうして私が副部長なんですか」と部長だった先輩と副部長だった先輩に直訴した。先輩が言うには「私はまじめに稽古をしている、その姿を評価したのだ」と。その評価はうれしいが、他の部員がサボっているようにも見えなかったので、副部長にされたのはかなり不服だった。

 顧問や部長がいないときの練習の指示や遠征のときの部員のとりまとめなど、かなりプレッシャーに感じでいた。今思えば、その頃の私は他人を見る目がかなり凝り固まっていて、隣の芝生が青く見えるように、部長をはじめ、みんなが強くプレッシャーなんか感じていないんだと思っていた。その見方がさらに自分にプレッシャーを与えていたのは言うまでもないことだろう。

 2年の後半になると同期は私を含め、大学受験のために予備校に通い始めた。固定の曜日に部活を休んだり、早退したりする同期も多くなった。3年になると休まないのは私だけになり、同期が全員休み、私と後輩で稽古をする日もあった。みんなが勉強をしている間、私は部活をしている、と心細くなることもままあったが、そんな日々を続けながら、インターハイ県予選を終え、引退した。

 引退直後は部活に行かない生活になじめず、生活のリズムを崩してしまった。あんなに嫌だった副部長というプレッシャーもすっかり忘れ、剣道部の掛け声と竹刀の音が聞こえる中、「道場はもう私の居場所じゃなくなったんだ」と目に涙をうかべながら、予備校や図書館へ向かう、そんな日々だった。

 高校の部活の仲間とは今もたまに連絡を取っている。引っ越しや結婚など、ニュースがあったとき、一番に知らせるのは高校の部活の仲間だ。高校時代の私の勝手なイメージは卒業後、全くの誤解だと分かった。高校時代、もっと彼女たちと色々なことを話せればよかったなと思っている。私にとって、高校の友だちがいちばん考えを共有できる仲間だ。高校時代、生活の中心だった部活。それを一緒にやってきた剣道部の仲間。彼女たちが私のいちばんの心の友だと思っている。

今週のお題「部活動」