tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

春の空は継母の心のよう

最近の天気は暑くなったり、涼しくなったり、急に雨が降ったり、カンカン照りになったり、と変わりやすい。端午の節句(台湾では旧暦の5月5日)まではそんな日々が続くが、それを過ぎれば本格的な長~い夏が待っている。
今日、たまたま授業で天気の話になり、台湾語には「春の天気は継母の気分のように変わりやすい」という言葉があると聞いた。日本語で言う、「女心と秋の空」、「男心と秋の空」そんな意味の言葉だろう。

私もいちおう継母なので、「やっぱ継母のイメージってそんなもんなんだよな」と思った。
継母と聞いて真っ先に思い付くのは「シンデレラのお母さん」だ。シンデレラのお母さんには自分の連れ子もいて、その子たちもシンデレラにつらく当たる。
グリム童話のひとつ、「ヘンゼルとグレーテル」の中で、ヘンゼルとグレーテルを捨てるのは母親だったが、それでは残酷すぎるということで継母にしたというエピソードもあるらしい。継母だったら残酷でも許されるのか…。
まぁ、とにかく印象が悪い。
母の愛情の偉大さを演出する道具としての継母だろうか。

昔はそんなイメージにうんざりしたこともあったが、今ではどうでもよくなった。

同じ継母というくくりでも、連れ子との関係は実に様々だから、自分が子どもと夫とどんな関係を築きたいかが重要だと思うようになった。
私の場合は、子どもたちは母親と連絡を取ったり、会ったりしているし、生まれたときから世話をしてくれているおばあちゃん(義母)も一緒に住んでいるので、母親になろうとすると自分が壊れてしまう。だから、私は子どもが私のことを家族だと認めてくれればそれでいいと思っている。

良し悪しあるけど、今はそれが一番丸く収まりそうだと思っている。