tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

中絶の処置

中絶の理由については書いたので、ここではその処置について書いておこうと思う。

中絶をした理由 - tortillaの日記

私は使った方法はRU486と呼ばれる内服薬を用いる方法で、薬を服用することで人工的に流産を起こさせる仕組みである。

この薬は現在、日本では承認されていない。個人輸入ルートが問題にもなっているようである。なお諸外国、イギリスフランスなどの欧州諸国やアメリカ、アジアでは中国、台湾などでは使用されているようである。(ミフェプリストン - Wikipediaより)

サインをさせられた同意書によると、妊娠7週目までの場合にのみ使用でき、成功率は95%とのこと。ここまでが概要である。
以下、私の場合の中絶の過程。
中絶を決めてから、夫と産婦人科へ向かった。医師に中絶の意思を伝えるとエコーで再度胎嚢の位置を確認し(子宮外妊娠では薬による中絶はできない)方法や副作用に関する説明を受けた。その後受付に2人分の身分証(居留証)を提出し、同意書にサインをし、薬代4500元を払った。同意書の内容は医師から納得のいく説明を受けたかとか後戻りはできないとか失敗や大量出血の可能性があることとかが書かれていた。
サインをすると、診察室に呼ばれ、まず1つめの薬を飲まされた。医師の説明によると、その薬は胎嚢を子宮内膜から剥がす作用をするとのことだった。吐き気の副作用があるので、吐き気どめも一緒に飲んだ。その後、2種類目の3錠の薬を2日後の指定された時間に飲むようにとの指示を受け、腹痛が出るおそれがあるので、痛み止めと胃薬を分包されたもの、そして出血するので、鉄剤を処方された。そして、次回の診察日(通常は1週間後だが、旧正月の休みだったので、休み明けの1日目)を確認し、帰宅した。

その日のうちは特に変わった変化もなく、過ごしたが、時間が経つにつれ、体がだるくなって、寒気と吐き気がしてきた。1日経った頃は寒気がひどくありったけの服を着こみ、カイロを背中とお腹に貼って過ごした。だるさも増してきて、デスクワークはほぼ進まなかった。教壇に立っている間は緊張感からか、いつも通りに仕事をすることができた。

2種類目の薬を飲む当日はさらに体調がひどくなった。吐き気で果物をやっと食べれるくらいで、寒気もずっと続いていた。だるさもひどく、授業でも辛さを隠すのがやっとだった。午後は休みをもらい早退してきた。体が熱い感じはなかったが、あまりにもおかしいので、体温を計ったら、いつもよりも0.5度くらい低く、低体温による寒気だったようだ。

その後、指示された時間に2種類目の薬を飲んだ。これは強烈な子宮の収縮を促す薬で、流産を誘発させるものだ。私は生理痛がひどいので、腹痛を恐れていたが、服用後1日くらいは思っていたよりも痛くなく、生理時よりも軽いくらいだった。出血も生理の2日目くらいで恐れていたような大出血ではなかった。

翌日(2日目)もさほど辛くなく、朝食をとり子どもたちは母親のところへ行ってしまったので、午後から7時くらいまで夫と外出し、帰宅後部屋の掃除をし、義母とカラオケを楽しんだ。歌いたい気分だったので、たくさん歌ったら、すっかり疲れてしまった。出血も変わらず、生理の2日目くらい。

3日目の朝は遅くまで寝て、昼は夫と外食することにした。体調も良かったので、ずっと控えていた冷たいものを食べたのが悪かったのか、ずっと体に負担がかかっていたのか、食事の途中から急にだるさが出てきて、座っているのも辛くなってきた。食事が終わったら、近くの公園を散歩したいと豪語していたが、それどころではなくなってきた。食事を終え、帰宅してすぐ横になって休んだ。寒気がして鈍い腹痛が始まり、大量の出血が終わると、腹痛が軽くなり、また腹痛が始まり、おさまると出血…の繰り返し。寝ているだけでも体力は消費されていく感じがするし、立つとフラフラしてくる。鉄分補給のサプリをとった。食欲は普通。

4日目5日目も3日目後半同様、少し動くだけで疲れ、出血も多かった。家事と子守は夫と義母に任せ、食事以外はほぼベッドに寝たきり。集めた情報では横になって休む必要はないということだったが、動くと動いた後にどっと疲れとだるさと腹痛が襲ってくるので、ベッドに横になれるときは横になっていた。楽なときは本を読んだり、眠気が襲ってきたときはそれに従い寝たりした。

6日目はお正月休み最終日。どうしても初詣に行きたかったので、夫と子どもたちと行ってきた。近くの廟に行くのかと思いきや、車で15分ほどの大きい廟に連れて行ってもらった。 5階建て(!)の大きい廟でお参りが終わる頃にはへとへとで、お参りどころではなかった。帰宅後昼食をとって、すぐ横になった。仕事ができそうな状態ではなかったので、マネージャーに連絡を取り、翌日の休みをもらった。家の階段を上り下りするだけでも息が切れる。出血は少なくなってきた。

7日目、夫と子どもを送った後、ベッドに横になる。気づくと昼前で、爆睡していたことに驚く。体は楽になってきていたので、昼食をとった後の片付けをして、部屋に戻り、休憩。夕方、漢方の病院へ行き、経緯を説明して、薬を処方してもらった。体は相当なダメージを受けているので、妊娠を希望する場合は3、4ヶ月後がいいだろうと言われた。その後産婦人科で成功しているかどうかの検査。出血は生理5、6日目くらいの量に減った。検査の結果、中絶は成功しているが、子宮の中にまだ遺物(?)が残っているので、3日間子宮収縮させる薬を飲めとのこと。また1週間後に診察。1週間ぶりにスクーターに乗って外出したものの、さほど疲れは出なかったので、翌日から出勤することにした。

8日目から家事の量、仕事ともに日常に戻った。

約13日目、出血が止まった。

15日目、産婦人科の診察。検査の結果、まだ少し遺物が残っているので、再度子宮収縮剤を処方された。出血がなくても、心配ないとのこと。2、3週間で生理が来るだろうが、もし5週間経っても来ない場合再度診察に来るよう言われた。

長くなってしまったが、以上が処置の経過だ。
考え、感想など信条、感想的なことは書かないでおく。

中絶をした理由

自分が死にそうになった夢を立て続けに見たのは、実は偶然ではないと思っている。

死にそうになった夢(人口抑制篇) - tortillaの日記

死にそうになった夢(白い部屋篇) - tortillaの日記


ちょうど死とか生命とか生物とかの定義を考えて自分の行動をどうにか消化しようとしているところだからだ。悪いことではないと言い切れないので書き留めておくかどうか迷ったけれど、転機が訪れるきっかけでもあったような気がするのでやはり書き留めておこうと思う。

題名の通り、人工妊娠中絶をした。

順調に妊娠を進められる心理状態ではなかったので、自ら望んで中絶をした。どんな状態であったかはまたいずれ筆を執る機会があれば書こうと思うので、今回はそこには深く触れないでおく。
母親の精神状態は子どもに影響すると思ったし、子どもを産めたとしても育てられるような状態ではなかった。母親になれば強くなるとか子どものために強くなれるとか世間一般でよく聞くけれど、そんなふうに好転するなんて考えることもできなかった。

なんで妊娠してしまったかといえば、一度実家に帰ってリフレッシュしてから、物事を客観的にとらえることができるようになった、つらい気持ちの時でも自分の状況を俯瞰できるようになった。ストレスと戦う免疫が十分ついたんじゃないか、と感じた。それで、夫とも話し、妊娠に対するガードを緩めてしまったのだった。その後、一時状態が帰省前より悪化してしまい、また、負のスパイラルに陥っていくことになってしまった。この部分はどんな言い方をしても言い訳じみているのだが、短い間の良好な時期に取り返しのつかないことをしてしまった、というところだ。

いちばん初めにかかった産婦人科では「できるだけ産みなさい」と言われたけれど、私の様子が沈んでいたからか、「もし産まないのなら…」と中絶処置を行っている別の病院を紹介してくれた。妊娠発覚後、夫には自分の考えを全部話したが、中絶にはやや反対だった。結局、紹介してもらった産婦人科に二人で行き、私が当時服用していた抗うつ剤は胎児に影響が出る虞があるので、妊娠を続ける場合は服用をやめる必要があると言われたことが決定打となって、中絶に同意してくれた。

調べた結果、超初期には服用している薬が胎児に影響を与えることはほぼない、それに服用している薬も超微量だったが、自分の精神状態では本当に無理だろうとしか思えなかった。

長くなったので、ここで一区切りしようと思う。

死にそうになった夢(白い部屋篇)

二晩続けて死にそうになった夢を見た。一晩目が以下。

死にそうになった夢(人口抑制篇) - tortillaの日記

自分の子どもが死んで、自分も息を引き取りそうになった話

部屋の壁は白く、窓からは心地よい風が入ってくるカーテンも白く、そこにある何もかもが白い。私は首が座ったばかりの女の子を腕に抱き、夫とその部屋にいた。
子どもは泣いていたが、気が付くと静かになっていた。私はなぜかその子の死期がきたんだとわかっていた。深い悲しみが襲ってくるが、なぜか涙は流れてこない。夫も悲しみに包まれているように感じたが、声を発することも、涙を流すこともなく、じっと赤ん坊を見つめている。
彼女はどんどん冷たくなっていき、私にはっきりと自分が死んだことを教えてくれているかのようだった。
それからどのくらいの時が流れたのか定かではないが、今度は自分が同じ場所で横たわっていた。もうすぐ死ぬということはわかっていた。赤ん坊の時と同じように夫もそこにいた。私の横たわっている布団の横に付き添ってくれている。安らかな時間で、いろいろな楽しいことを話し、笑いあった。(内容は覚えていない)この時間がずっと続いてくれればいいのにと強く思えば思うほど、息が苦しくなってきて、声を出すことができなくなってきた。
声が出なくなってからはずっと彼の眼を見続けた。彼もずっと私の眼を見つめ続けている。彼と一緒に生きていきたいと思えば思うほど、強烈な眠気に襲われ、眠りに落ちれば、もう起きることがないと分かっていた。それでもまだこれからも生きていたいと思い続け、息苦しくなってきた…ところで目が覚めた。

目を覚ましてから、生きててよかったと心底思った。
二晩続けて死にそうになる夢を見るのは精神的に疲れる…。どうか三晩目はありませんように…。