tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

死にそうになった夢(白い部屋篇)

二晩続けて死にそうになった夢を見た。一晩目が以下。

死にそうになった夢(人口抑制篇) - tortillaの日記

自分の子どもが死んで、自分も息を引き取りそうになった話

部屋の壁は白く、窓からは心地よい風が入ってくるカーテンも白く、そこにある何もかもが白い。私は首が座ったばかりの女の子を腕に抱き、夫とその部屋にいた。
子どもは泣いていたが、気が付くと静かになっていた。私はなぜかその子の死期がきたんだとわかっていた。深い悲しみが襲ってくるが、なぜか涙は流れてこない。夫も悲しみに包まれているように感じたが、声を発することも、涙を流すこともなく、じっと赤ん坊を見つめている。
彼女はどんどん冷たくなっていき、私にはっきりと自分が死んだことを教えてくれているかのようだった。
それからどのくらいの時が流れたのか定かではないが、今度は自分が同じ場所で横たわっていた。もうすぐ死ぬということはわかっていた。赤ん坊の時と同じように夫もそこにいた。私の横たわっている布団の横に付き添ってくれている。安らかな時間で、いろいろな楽しいことを話し、笑いあった。(内容は覚えていない)この時間がずっと続いてくれればいいのにと強く思えば思うほど、息が苦しくなってきて、声を出すことができなくなってきた。
声が出なくなってからはずっと彼の眼を見続けた。彼もずっと私の眼を見つめ続けている。彼と一緒に生きていきたいと思えば思うほど、強烈な眠気に襲われ、眠りに落ちれば、もう起きることがないと分かっていた。それでもまだこれからも生きていたいと思い続け、息苦しくなってきた…ところで目が覚めた。

目を覚ましてから、生きててよかったと心底思った。
二晩続けて死にそうになる夢を見るのは精神的に疲れる…。どうか三晩目はありませんように…。

死にそうになった夢(人口抑制篇)

人口抑制のために人が殺されることになり、その殺される人に選ばれた話。

時は高校時代。部活に明け暮れ、青春を謳歌していた。そんなところへ1通の手紙が送られてきた。「あなたは潜水艦で海底へ送られることになりました。期日は…(以下覚えていない…)」
その手紙を読み終えたが、納得いかない。「私は公立の進学校に在籍し、行政から将来を期待されている人間ではないのか?どうして私が選ばれたのか?」その疑問を近くにいた母にぶつけると、母は冷静に、「結局のところ、必要とされていないのよ。逃げないで、国の指示に従ったほうがいいわね。」という答えが返ってきた。
「母は自分の子どもの死が悔しくないのか、悲しくないのか?」疑問と絶望の中でその期日が迫ってくる。高校のクラスメイト何人かも潜水艦に乗ることになり、同じ運命を負ったもの5人で逃げようと画策するが、どうすればいいかもわからない。結局何者かに捕らえられ、抵抗することもなく潜水艦に乗った。
潜水艦は遠隔制御されており、自分たちではどうすることもできない。どこかの海底へ近づくと、「間もなくすると自動的にエンジンなどのすべての装置が停止する。その後、酸素濃度が徐々に低下し、数分苦しむことになるだろう。」といった説明がなされた。説明のとおり、すべての機器がストップし、しばらくすると息苦しくなってきた。友人たちと最後に家族に言いたいことは何かと話し始めるが、話せば話すほど息が苦しくなってくる。
…といったところで目が覚めた。母への失望が一番印象に残っていたが、そんなことは起こったことがない。どんな考えがこんな夢を見せたのか、逆に自分を責めるような嫌な気分になった。

 

ネット上での発言

ネット上での発言についてたまに考えることがあるけれど、この記事読んでなんだかすっきりした。

ネットで自分の言葉を発するようになったのは中学生の頃で、当時発見した剣道愛好家の掲示板サイトみたいなところだ。そこで知り合った人とメールのやり取りまではしたことあるけれど、実際に会ったことはない。合同稽古とか興味あったけれど、自分が弱小だったので行かずじまいだった。
それから発言からはしばらく離れて、大学の初めにmixiを始めた。日記をよく書いていたけれど、マイミクが増えるにつれこの人には見られたくないなとかどんな人からあしあとがついてるのかなとか結構気になっていた。そしてマイミクからは見られたくない、でも誰かに見てほしいなと書き始めたのがはてなダイアリー。先輩に紹介されて何気なく始めたものの、読書の記録を書いたり、愚痴を書いたり、希望を書いたり、まぁ今読み返すと恥ずかしくなるようなものばかり(笑)
留学を機にフェイスブックをはじめた。周りの人が徐々にmixiからフェイスブックに移行していった頃だったと思う。mixiは実名じゃないから怖くないとか言われていたのにフェイスブックは実名が原則でプロフィール写真には自分の顔を出している人も多かった。時代って流れてるんだな。その時つくづく感じたものだ。という私もフェイスブックの利用に抵抗はなく、いろいろな写真や思いをのせた。今もそれは同じだ。私は閉鎖的に使っていて、友達以外に公開している情報はあまりない。

それにひきかえ、インスタグラムやはてなブログは多くの人に公開している。インスタは自分が撮った写真に興味がある人と交流できればいいと思っている。ブログは自己満足手的なわけのわからない文章を書くのではなく、あとから読み返したときにわかりやすい文章を書きたいなと思って、ある程度は読み手を意識して書いている。

自分のノートに文章を書くのとインターネット上に文章を書くのの決定的な違いはノートは自分のものであるのに対し、ネットはみんなのものであるということだ。見られたくない人に見られても、ノートなら盗み見とかプライバシーがどうだ言えるけれど、ネット上の文章はそんなことは言えない。誰が見ても自由なのだ。
だから、冒頭の記事の中のお母さんは何一つ悪いことはしていないし、母親の行動に対して子どもが不快な思いをしたとしても、子どものネットに対する認識が甘かっただけだと思う。

暮れに友達が遊びに来た時にこのブログについての話題が出た。自分からブログの存在を積極的に伝えたことがない人からの初めての指摘だったので、ちょっと驚いた(笑)でも、インスタにリンクを張ったのも、自分の身近なひとにも読んでほしいなと思ったのがきっかけだったので、よかったなと思っている。

毎回文章の終わり方に苦労しているのだけれど、この記事で言いたいことはネットの世界は大海と似ていて、存在を主張しなければかき消されてしまうけれど、その存在を見つける自由は誰でも持っているということだ。