tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

休日らしい休日

今、家に誰もいない。夫と兄は仕事、子どもたちは母親のところ、義母はハイキングで、義父は毎日昼間は家にいない。
自分一人の空間があるといっても、家の中に誰かがいるのといないのではリラックスできる度合いが違う(悪いことしてるわけじゃないんだけどね。)

午前はずっと洗いたかった服の洗濯大会に、犬の散歩。昼ごはんは昨日の残りの大根と青菜のスープ(おそらく排骨湯)に味噌とご飯を入れておじや風にして食べた。柔らかくて味がしみた大根に久しぶりの味噌の味。
時間を気にしないでやりたいことができるって幸せだな~と思う。

ここ3か月ぐらいブログを書いていなかったけれど、文章を書くにはゆとりある気持ちと時間が必要で、なかなか筆が進まなかった。
午後は久々に文章を書こうかなと思っている。その間に眠くなって寝てしまうかもしれないけれど、それはそれで休日らしい過ごし方なのでありでしょう。

子どもがいないのは静かすぎるくらいだけど、たまにはこういう日も必要なのかな。

愛ちゃんの結婚会見を見て

福原愛と江宏傑の結婚会見で盛り上がっている。私も興味津々で日本の会見の質疑応答を文字に起こしたものは呼んだし、台湾での会見は録画を見た。イケメンの江さんにかわいくてきれいな愛ちゃん、とても絵になる夫婦だと思う。愛ちゃんの振り袖姿を見て、「愛ちゃんきれいだよね~」と夫に言ったら、「着物着ればいいじゃん。一番きれいな姿見せてよ。」とさらりと返されてしまった。そうですよね。着たけりゃきればいいんですよね…。

台湾の家族も興味があるみたいで、夫は日本のテレビで放送されていた「台湾の結婚事情特集」のようなもののカット集を見つけて、「日本人にはそう見えるのか」と言っていたし、父は日本での記者会見を特集した新聞記事をを写真に撮って家族のライングループに投稿し、「この日台夫婦は夫がスーツで妻は和服というふうに両方の習慣を合わせてるんだから、息子たちもそうすればいいじゃないか」とメッセージを送ってきた。夫は「いや、別にスーツ着ないとか言ってないし、彼らは結婚式じゃなくて記者会見でしょ」と返すと、「話し合いすらしないのか」と何やら雲行きが怪しくなってきた。私は傍観者を決め込んで何も返さなかったけれど、「着たいもの着ればいいじゃん、以上。」という感じ。

それにしても、愛ちゃんがうらやましいなと思うのは会見で、「旦那さんも旦那さんのご両親も卓球選手として現役続行することを理解し、応援してくれている」、ということ。結婚は二人だけのことじゃなく、家族もかかわることなので、その家族の理解と応援があるってこれから生活する上でとても重要なことだと思う。
台湾の両親(特に父)は私が仕事をしていることを快く思っていないので、まぁそこのところがめんどくさい。夫は私が仕事をすることを応援してくれるけれど、たまに父の機嫌が悪くなると、「お母さんは毎日家事と子どもの世話で大変なんだし、お父さんはお金あるんだから、そんな働かなくたっていいじゃないか、家のことをもっとしなさい」とこんな直接的ではないけれど、端的に言えばそんな意味のことを言ってくる。夫の給料だけでは子供の教育費やら自分たちの雑費は賄えないし、父が援助してくれるわけでもない(そんなのもいらないけれど)から、私がただ自分の遊ぶ金ほしさのために働いているわけじゃないのに、仕事に行ってネチネチ責められるのは女の私。あぁ、理不尽。男は外で働き、女は家の中っていつの時代の考え方だよ…。と夫以外の人のからの干渉が正当化されるのが結婚のめんどくさいところだと思う。昔は男の人は妻が増えるだけで、基本的にはずっと同じ家族と暮らせるんだからいいよなと思っていたけれど、夫は夫で自分の親と妻の間の調整役を務めなきゃいけないのも結構なご苦労だと思う。それを今頑張ってしてくれているので、夫には感謝している。

同世代のスター愛ちゃんがこれからも歩みたい道を歩めることを心から祈っている。

前に住んでいたところは美しい

今、台湾の家を出たくて仕方がない。何もかもが日本の家のほうがよく見える。仕事から帰るときは「こんな家出ていきたい、でも夫と子どもたちが恋しいから帰るしかないんだよなぁ」と泣きながら帰るし、何もしないでいると悪いことばかり頭に浮かんでまた泣きたくなる。それを見ている家族もいい気分になることはないだろうから、どうにか泣かないように何か気がまぎれそうなことを探したり、考えたりしている。

そんなとき、ふと思い出した言葉がある。「ブエルボアルスール」。小学校の国語の教科書に載っていた物語に出てくる言葉だ。題名は忘れてしまったけれど、主人公の友だちが故郷のブラジル(かどこか南米)を懐かしんで?あるいはそこに帰るときの別れの言葉として?その辺は忘れてしまったのだが、とにかく「ブエルボアルスール」と言う。それは「南に帰る」という意味で、当時の私はそれをずっと心の中で繰り返していたものだった。

私の実家は埼玉だが、小学1年生まで「湘南」に住んでいた。家から歩いて5分ほどで海岸、自転車を20分漕げば江ノ島に着く。そんな素晴らしい場所に住んでいた。その頃の私は男の子と走り回っていることが多く、女の子の友だちとはなかなかうまく遊べなかった。虫取りや戦いごっこ、鬼ごっこといった体を動かす遊びが大好きだった。小学校でも男の子の中でけり野球をしたり、放課後よく一緒に遊んだのも男の子だった。
そんなやんちゃな幼少時代を過ごして、埼玉に引っ越してみると、担任の先生は「男の子と女の子別れて遊びなさい。」とか「女の子の遊びと男の子の遊びは違うでしょ?」とか今まで聞いたこともない言葉を発して、驚いたのをよく覚えている。先生の話は絶対だと思っていた子どもだった私は違和感を感じながらも女の子と鉄棒や何かしらで遊んで、男の子からは遠ざかった。
このことが関係しているのかはよくわからないけれど、4年生くらいになって、とにかく「湘南」に帰りたくなった。親戚もいないし、帰れるわけもないのにどうしても帰りたかった。走り回った砂浜、家族で自転車で行った江ノ島、何でもかんでも恋しかった。友達に会いに遊びに行ったりもしたけれど、とにかくそこに住みたかった。そんな状態が2,3年続いてようやく埼玉になじんだものだった。
「ブエルボアルスール」。湘南がそれほど南でないことは当時もわかっていたけれど、私も「南へ帰りたい」。そう思って、この言葉をずっと繰り返していた。前回も書いたけれど、その時も変わらず、物語の登場人物に感情移入していたのだ。

というわけで、家族と引っ越してきた土地でも「前に住んでいたところに帰りたい」と思っていたんだなと思いだしたら、今の状況も納得できる気がしてきた。
台湾に来て3年半が過ぎた。目新しいこともなくなってきて、やっぱり前に住んでいたところが美しく見える時期なのかもしれない。(もちろん、それ以外に余計なストレスがあるってのも忘れてないけれど)しばらくは埼玉を恋しがりながら、生活していくんだろうな。家族関係とはまた、違った面でホームシックにかかっているのかな。という気付きがあった。