tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

特別お題 私のふるさと

私のふるさとはどこだろう?というテーマは小さいころからよく考えていたような気がする。友だちには田舎があって、そこにはおじいちゃんおばあちゃんが住んでいるらしいけど、私には田舎がなくて、おじいちゃんが眠っているお墓と親戚たちが長野の山にいる。そこが私のふるさとか、といえばそうじゃないと思う。そこはおじいちゃんおばあちゃんのふるさとだ。

もう少し大きくなって、自分のふるさとは生まれたところかな、と思うようになった。だいぶ前にも書いたけれど、小学生のときに祖母が住んでいた埼玉に引っ越してきた。なんとなく馴染めなくて、それまで住んでいた神奈川の海辺に帰りたいとずっと思っていた。そこがふるさとか?と考えると、そこも違うような気がした。また海辺に戻っても、住んでいたアパートは小綺麗なマンションに変わっていたし、親戚もいない。ただ、そこに住んでいたという事実と思い出があるだけだ。ふるさとじゃない。

前に住んでいたところは美しい - tortillaの日記

そんな思いは埼玉に住んでいる時間が経つにつれ、高校に入り、環境が気に入った頃には薄らいできて、やがて埼玉が私のふるさとだ、と思うようになった。今では、出身はどこかと聞かれれば、「埼玉です(生まれたのは神奈川の海辺だけどね、と思いながら)」と答えている。

生まれてから10年弱を神奈川の海辺で過ごし、その後15年ちょい埼玉で過ごし、20代半ばで台湾の台中にやってきた。江ノ島のあたりに戻りたいという夢もあるけれど、台中で過ごす時間がさらに長くなるのは間違いないだろう。

夫の先祖は何代も前から台中に住んでいるそうなので、彼に聞けば「自分は生粋の台中人だ」と答える。それと比べると、「はて、私は?」振り出しに戻ってしまう。「父方の祖父母は長野の山の出身だから、ルーツは長野?(何代前から長野にいたのか定かでもない)でも生まれたのは神奈川?あれ?でも埼玉は?」

ふるさとは 遠きにありて 思ふもの
そして悲しく うたふもの
よしやうらぶれて 異土の乞食と なるとても
帰るところに あるまじや
ひとり都の ゆふぐれに ふるさとおもひ 涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこに かへらばや
遠きみやこに かへらばや

室生犀星 小景異情

うーん…私のふるさとはやっぱり、埼玉だ。

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