tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

披露宴まで②

①の続き。

披露宴まで① - tortillaの日記

 その後も紆余曲折あったが、自分の状態が安定してきて、下の子も連れて家族4人で日本へ行く計画も出てきたので、それを機に披露宴の話を進めようかと考え始めた。今更感もあったが、前回結婚式をキャンセルしたことで祖母が悲しそうだったという話や母が「台湾で仕事をすると言って家を出て行って以来、いつの間にか嫁いでしまい、なんとなくあやふやな感じがする」と言っていたことがずっと頭の片隅にあった。夫に話したところ、私の状態が整うのを待っていたと言われたし、義母もうちの両親にとっては大事なことだろうからしたほうがいいんじゃないか。と言ったので、また話を進めることにした。それが、今年の春の話だ。

 結婚式はせず、披露宴だけすることにした。場所は昨年決めた料亭がいい…。でも、去年本予約と衣装合わせの日程を決めたにもかかわらずキャンセルした手前、申し訳なさと恥ずかしさがあったので、昨年の謝罪と私がそこでしたい思いのたけをメールした。

 日程決めは空き状況を聞いて、まず日本の両親妹の希望を聞き、それをもとに義父が占いをしてさらに絞り込み、最終決定をした。予約金の支払い契約のサインなどは両親にお願いし、その他はメールのやり取りで決めていった。私が疑問に思っていた披露宴の意義、私の希望などすべてをプランナーの方に相談し、一つ一つ丁寧に答えてもらった。

 5月の帰国時には衣装合わせと当日の進行の大枠の決定などをした。衣装合わせでは何色の衣装を着たいか、イメージなどを事前に伝えておき、それに合ったものをお店の方が前もって選んでくれていたため、スムーズに決まった。お店の方が子どもたちと遊んでくれたおかげで安心して選ぶことができた。打ち合わせの時は子どもを自由にお庭で遊ばせてくれたので、こちらも集中してできた。(ただ、最後のほうは砂利を投げ始めたので私に怒られることになったが)周りの大人はもちろん、子どもたちの人見知りしない明るい性格にも助けられ、無事に日程通り進めることができた。

 台湾へ戻ったあとは招待状の文面チェック、招待者の決定、スピーチや乾杯のお願い、細かい進行内容など。招待状の送付は両親にすべて任せた。台湾の分のみこちらで。

 9月の初め、いとこの結婚式に合わせて私一人で一時帰国した。その時には髪型のリハーサルと会場の花・プランナーさんとの打ち合わせと、2日に分けて行った。髪型はかつらじゃいやだし、洋髪かなと思っていたが、私の髪の長さなら地毛で文金高島田を結ってもらえるとのことだったので、結ってもらうことにした。まさかそんな体験ができるだなんて思っていなかったので、とても嬉しかった。花は秋らしい季節感を大切にしたものにしてほしいとお願いをした。スピーチは夫のいとこ、私の伯父にお願いし、それぞれに訳を付けることにした。それだけだと少し間延びしてしまうかもしれないとアドバイスをもらい、台中の紹介を組み込むことにした。席札は母に手書きで書いてもらい、そこに私がメッセージを書くことにした。

 台湾に戻ったあと、事前にいとこ、伯父からスピーチの原稿をいただき、それを夫と二人であーでもない、こーでもないと言いながら、完成させた。披露宴準備唯一の共同作業(笑)台中紹介については夫といとこが快く引き受けてくれた。それを日本語に訳したものの、観光案内の域から出ず、ぱっとしたものが作れなかった。お見送りのときに台中のパイナップルケーキベスト3を送ることを決定。

 そうこうしているうちに当日10日前になり私が先に帰国、司会の方とプランナーさんと最後の打ち合わせをした。台中の紹介に関して、自分の生活と結び付けるといいかもしれないとのアドバイスをもらい、夫に作ってもらったものを使って編集。自分たちが行った時のエピソードやその時の写真、家からの所要時間を書き込んで、来ていただいた方に資料として配布することにした。その他にも席札のメッセージや、挨拶、手紙の内容などもほぼ考えていなかったので、それを用意して翻訳したりなどそれなりに忙しかった。あわただしい中、前日には夫と子どもたち、義両親といとこを迎え、なんとか準備終了。一人で先に実家に帰りゆっくりする予定だったのに…。