tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

思い出の家族旅行

思い出の家族旅行といえば、毎年お盆の旅行だ。
父方の祖父母の故郷へお盆の挨拶がてら、家族旅行を楽しむという、いつから始まったのか定かではない毎年恒例の行事だ。もちろん、今も続いている。3泊4日か2泊3日の短い旅行で、うち1日は親戚へのあいさつ回りだが、楽しかった。
小学生のころから父方の祖母と同居、母方の祖父母の家も車で30分あれば行ける距離だったので、長期休みの前に友だちが「北海道のおばあちゃんちに行く~」とか、「石川のいなかに行く~」とか言っていたのがうらやましかったが、それに対抗できる唯一の旅行がお盆の旅行だった。(なにをそんなに対抗心燃やしてたんだろう笑)
行く途中の車の中で、カセットに合わせて大声で合唱したり、持ってきたぬいぐるみで妹と遊んだり、おばあちゃんが用意してくれたお菓子をほお張ったり。目的地に近づくと、窓を開けてひんやりとした空気を吸ったり…。書き出してみると他愛もないことばかりだが、ずっと好きだった旅行だ。

日本語学校での七夕

私の勤めている日本語学校では毎年、七夕にちなんで、簡単に七夕の紹介した後、短冊に願い事を書いてもらう。それを竹(造花)につるして、記念写真をパシャリという流れだ。うちの日本語学校で長ーく続いている行事のひとつだ。

今年の担当は初中級(学習歴1年くらい)と初級(学習歴1ヶ月ちょっと)のクラスだったので、それに合わせて活動を行なった。

初中級のクラスには織姫彦星のお話紹介したプリントを配布して、それを読みながら、適宜補足説明をして理解を深めてもらった。次に日本では短冊に願い事を書くことを紹介したプリントを配布して、それも読み合わせながら理解を深めていった。台湾では七夕は旧暦の7/7、しかも恋人どおしがデートするイベントなので、日本ではどうして願い事するイベントになったのか、知ってほしいな、という思いを込めて。最後に「ます形+ように」で願い事をする文型になりますよ。と簡単な文型導入をして、願い事を各自で短冊に書いてもらった。

初級のクラスでは、まず、月日の読み方の練習がてら、7/7を「しちがつなのか」と読んでもらった。その後7/7は何の日ですか?と中国語で質問した。質問直後は「?」となっている学生も数秒考えると「七夕」と答えが返ってくるので、それを板書したあと「たなばた」とふりがなをふった。それを学生に読ませ、ひらがなを読む練習。それから、日本ではほとんど旧暦を使わないこと、台湾では七夕に何をするか中国語で少しおしゃべりしたあと、日本では願いごとを書いた短冊を竹につるします〜今日は皆さんも短冊に願い事を書きましょう〜と、書いてもらった。「えええ、日本語で書くんですか?」との声もあったが、「それは当然です」と一刀両断。健康でありますように/車がほしい/日本語が上手になりますように/ワールドカップでロシアが優勝しましように(学生から出てきた願い) などを板書したり、手助けをちょっとしながら学生に書いてもらった。googleを使ったりして、お母さんなど家族の健康を願った短冊を書いていたのも素敵だなと思った。私の願いごとは「学生たちの日本語が上手になりますように。」

毎年この活動をして、不思議に思うのは1枚の短冊にたーくさん願い事を書く人が結構いること。はて、私はいつから短冊1枚に願い事1つだと思っていたんだろう?恋人がほしいとか、お金がほしい、給料UP、とか現実を如実に表したお願いも多い。それから家族の健康や幸せを願うものも多い。七夕を通じてちょっとした国民性が垣間見れるのかなとも思っている。

今週のお題「星に願いを」

生産性のある生活

先日、1人で実家に帰った。
私の理想としては年に2回、実家に帰りたい。うち1回は一人で、残りの1回は家族で。
今年(こそ)は年末年始に家族で帰りたいと思っているので、その半年前を狙って、この時期に帰った。

帰ってやりたいことがあったわけでもないし、直前に心身ともに調子を悪くしていたので、そもそも帰る気力もなくなっていたが、帰って、友だちと話して良かった。

実家に帰る2,3日前、1通の手紙が届いた。送り主は高校時代のクラスメートだった。彼女とは卒業以来細々と文通を続けている。私は彼女の書く手紙が好きで、楽しみにしているのだが、多忙のせいか、なかなか来ない。まぁ、私も十分筆不精であるが…。
そんな相手から、しかも帰国直前にそして、私が日ごろ悩んでいることに関することについて書いてあったので、これは会うしかない、とメッセンジャーで連絡を取った。

一緒に食事ができることになり、彼女の職場の近くで落ち合うことになった。
牛タン麦飯定食を食べながら、ざっと近況を話したあと、赤ちょうちんに入って、さらにあれこれ話した。

食費水道光熱費に頭を悩ます必要もなく、家事も義母が主体としてこなしているという、嫁としては文句ない、むしろ恵まれている環境に嫁いだものの、悶々とした日々を過ごしている。自分の家庭を自分の力で築いている人がうらやましくなる。そんなことを話した。

彼女にはそんなふうに見えなかったようだが、そういうので悩むのってうちの高校出身の人らしいよね、そういう環境なら左団扇で暮らせるはずなのに、それに飽き足らない感じが。というようなことを言われた。

生産性がない、あるいは自分の役割、存在意義がわかりづらい環境で生きていくのはどうやら私たちにはとても難しいようだ。彼女は私の悩みをわかってくれて、さらにそれを言語化してくれた。それでだいぶ楽になった。

台湾に帰ってきてからしばらく経ったが、やっぱり生産性のある生活をしている実感がない。仕事があれば積極的に引き受けるようにはしているが、まだまだ足りない。日本語教師以外の他の仕事に手を出してみたいと求人サイトにも手を出してみた。付け焼き刃的な感じがするけれど、家での役割が見出せない以上、外に出るしかないんじゃないかな、と思っている。