tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

生産性のある生活

先日、1人で実家に帰った。
私の理想としては年に2回、実家に帰りたい。うち1回は一人で、残りの1回は家族で。
今年(こそ)は年末年始に家族で帰りたいと思っているので、その半年前を狙って、この時期に帰った。

帰ってやりたいことがあったわけでもないし、直前に心身ともに調子を悪くしていたので、そもそも帰る気力もなくなっていたが、帰って、友だちと話して良かった。

実家に帰る2,3日前、1通の手紙が届いた。送り主は高校時代のクラスメートだった。彼女とは卒業以来細々と文通を続けている。私は彼女の書く手紙が好きで、楽しみにしているのだが、多忙のせいか、なかなか来ない。まぁ、私も十分筆不精であるが…。
そんな相手から、しかも帰国直前にそして、私が日ごろ悩んでいることに関することについて書いてあったので、これは会うしかない、とメッセンジャーで連絡を取った。

一緒に食事ができることになり、彼女の職場の近くで落ち合うことになった。
牛タン麦飯定食を食べながら、ざっと近況を話したあと、赤ちょうちんに入って、さらにあれこれ話した。

食費水道光熱費に頭を悩ます必要もなく、家事も義母が主体としてこなしているという、嫁としては文句ない、むしろ恵まれている環境に嫁いだものの、悶々とした日々を過ごしている。自分の家庭を自分の力で築いている人がうらやましくなる。そんなことを話した。

彼女にはそんなふうに見えなかったようだが、そういうので悩むのってうちの高校出身の人らしいよね、そういう環境なら左団扇で暮らせるはずなのに、それに飽き足らない感じが。というようなことを言われた。

生産性がない、あるいは自分の役割、存在意義がわかりづらい環境で生きていくのはどうやら私たちにはとても難しいようだ。彼女は私の悩みをわかってくれて、さらにそれを言語化してくれた。それでだいぶ楽になった。

台湾に帰ってきてからしばらく経ったが、やっぱり生産性のある生活をしている実感がない。仕事があれば積極的に引き受けるようにはしているが、まだまだ足りない。日本語教師以外の他の仕事に手を出してみたいと求人サイトにも手を出してみた。付け焼き刃的な感じがするけれど、家での役割が見出せない以上、外に出るしかないんじゃないかな、と思っている。