tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

おじいさんと日本語と私

我が家にはおじいさん(夫の祖父)がいる。私とおじいさんはちょうど干支が同じで、私の祖父母とほぼ同じ年代に生まれているので、なんとなく親近感がある。しかも、おじいさんが少年だったころ、台湾は日本の統治下だったため、日本語で教育を受けていたそうで、日本語も話す。初めて夫(当時は彼氏)の家へ行き、おじいさんに会ったとき、おじいさんは「お嬢さん、ようこそ。私は昭和の男だ。」と話しかけてくれた。「私も昭和の女です。よろしくお願いします。」と答えた。とは言っても、だいぶ日本語を忘れてしまっているようで、なかなか日本語で意思疎通できない。伝わっているか不安なとき、私は中国語(北京語・中国官話)を使って話す。それでもおじいさんは日本語を話そうとするので、思うように会話ができず、もやもやしながら適当に会話を切り上げることもままあった。

先日おじいさんの誕生日だった。義父の提案で、「おじいさんの誕生日の夜はケーキと豬脚麵線*1でお祝いをしよう!」ということになった。私はおじいさんの誕生日の夜、仕事が入っていたので、カードを書くことにした。おじいさんはNHKの番組を見ていることもあったので、きっと日本語を理解できるだろうと思った。前日カードを準備が終わりかけたころ、夫に下書きを見られてしまったので、カードを書こうと思った経緯を話した。夫も今のおじいさんの日本語能力はよくわからないようで、もしわからなかったら、夫に訳してもらうことにした。

誕生日の夜、帰宅し、早速夫に誕生日パーティーのことを聞いてみた。すると、夫も驚いたようにこう話した。「おじいさんはカードの内容を理解しただけじゃなく、すらすらと読み上げた。」と。その後、おじいさんと日本語について話したそうで、「日本語を使っていたのはもう何年も前のことだし、戦後は日本語を話す機会もなくなったので、だいぶ忘れてしまった。しかも今の日本語は当時の日本語ともだいぶ違うから、よくわからないこともある。」と言っていたそうだ。

翌朝、おじいさんに会うと「昨日は、ありがとう」と、言ってくれた。外国語(しかもあまり理解できない言葉)の中で生活している私にとって、日本語が聞こえる、話せるのはホッとするひとときだ。

今日もおじいさんと日本語で話した。

私「今日も暑いですね。」

祖父「もう9月、まだ暑いな。」

私「昔は9月はもう涼しかったんですか?」

祖父「そうだ、9月は秋だ。」

私「そうですね、早く涼しくなってほしいですね。」

祖父「ああ 今朝も学校へ行くのか?」

私「はい、夕方帰ります。」

祖父「そうか、気をつけて行きなさい。オートバイ*2は危ないから」

私「はい、気を付けます。行ってまいります。」

*1:そうめんのような細い麺の上に煮込んだ豚足をのせた食べ物。誕生日お祝いによく食べる

*2:スクーターのこと エンジンのついている二輪車はそう呼ばれている