tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

自分の名前

日本、中国(1年弱)、台湾(5年ちょっと)で生活してきたけれど、名前に関してもやもやする部分がある。私の名前の一部である「実」という字は「実」(日本)、「实」(中国 簡体字)、「實」(台湾 繁体字)と3種類の字体がある。サインが必要な時は「実」を使っているが、それ以外のときはその土地に合わせて書いている。中国や台湾で生活し始めたばかりの頃はこだわってどこででも「実」を書いていたが、「この字は何だ?何と読むんだ?(中国・台湾)」とか、「これは簡体字か?(台湾)」とか言われたり、「?」と表示されたり(台湾 病院)、「实」と簡体字で書かれたり(中国・台湾 郵便局)、わざわざ「実」だけ手書きしてくれたり(台湾 裁判所)、抜け字になったり(台湾 病院)、いろいろなことがあった。その後、そのいろいろが面倒になったので、中国では「实」、台湾では「實」と書くようになった。自分の名前だし、全体的なバランスで考えれば、「実」が一番きれいだよな、とも思ったり、もやもやもあるけれど、漢字も例外なく、「郷に入れば郷に従え」というのが波風経たせない一番いい方法だ。

同じように、日本語と中国語で発音の違いもあるわけで、名前が2つあるような感じだ。中国語習いたてのころは面白がっていたので、今でもその頃のクラスメイトとは中国語の発音をあだ名として呼び合っている。

家では義父母が私を呼ぶときは中国語の発音だし、家の外では仕事以外、中国語の発音で呼ばれる。なぜか、漢字が使えず、アルファベットで書かれる銀行は例外だ。

考えてみれば、毛沢東は「もうたくとう」と覚えたし、孫文は「そんぶん」と覚えたのだから、自分の名前の表記や発音でごちゃごちゃ考えることもないのかもしれない。

ただ、一度、夫に台湾語で名前を読んでもらったことがあったのだが、濁音が多かったかなんだかで、受け入れ難かった…。ああ、難しい。