tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

恩師

先月実家へ帰ったとき、恩師に会いに行った。

高校1年のときに現代文を教わった先生で、とにかく大好きな先生だった。
なんと言っても話が面白かった。言葉に関するいろいろなことを知っていて、それだけでなく、理科社会など教養がある人だった。まじめ腐った人ではなく、話し方も上手で、ずっと話を聞いていたくなるような話し方だった。板書の字は汚いし、要点だけ書くので、何を書いているかよくわからないし、文章読解の方法を教えてくれるわけでもなかったが、ただ、話がおもしろかった。「評論文が読めない奴は高校3年間で読めるようになるはずがない。おばさんになれば読めるようになる。」そんなようなことを言っていた。私は現代文ができなかったが、その話を聞いて素直にあきらめた。どのくらいできなかったかというと、いつもクラス40人中、30位台、だいたい35位以下だった。何かの拍子でクラスの平均点が取れた時は、大学に合格した時よりも嬉しかった。

先生の専門は漢文で、毎朝8:00~、10分間「論語」の素読をしていた。白文を見ながら、先生が読んだとおりに読む。そして、解説を一つか二つ。それだけだ。1年から素読の存在は知っていたが、朝が苦手だったので、通うことはなかった。2年の文化祭が終わり、高校生活もあと半分か...。と思い至った時、一念発起して通うことにした。漢文が役に立つ、立たないというよりもただ、先生に会いたい、話が聞きたいという理由だけだった。

読んでみると、なかなか面白かった。書き下し文の言葉のリズムが心地よく、書いてある内容もなかなか面白い。神を絶対視するのではなく、そこから一歩引いて、人の行いに重点を置く、そんな思想が紀元前にあったことが興味深かった。そこから大学の専門も決め、紆余曲折を経て、先生の後輩になることまでできた。卒業してからも、ときどき連絡を取っている。

要するに、先生は私にとって憧れの人だ。
それは今でも変わらない。時々先生の話が聞きたくなる。先生は連絡すれば、返してくれるし、会いたいと言えば会ってくれる。
今回もいつものように、食事をしながら、先生が限界集落に行った話やアメリカに行った話をしてくれた。教養はお金にならないけれど、人生を豊かにしてくれる。そんなことを思い出させてくれた時間だった。自分が歩んできた道は間違っていない。と確認するために、私は先生に会いに行くのかもしれないなと思った。