tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

年齢と期限と選択と

運命を変える力は、あなた自身の中にある。誰かに決められた期限なんてない。」「運命を変える力は、あなた自身の中にある。」これには共感できるが、「誰かに決めれらた期限なんてない。」これには全く共感が持てなかった。
時間の流れは誰にでも平等で、早く大人になりたくても、大人になりたくなくても、20歳になれば大人だ。法律という縛りだけじゃなく、人々は20歳前後、あるいはその人が学生でなくなった時点で大人として扱うようになるだろう。大人になりたくなくても、子どもでいられる期限は必ずある。
出産にも決まった期限がある。これは誰もが直面する期限で、なかなか思うように扱うことが難しいものではないだろうか。
その他にも宿題の期限、プレゼント応募
の期限、旅行申し込みの期限などなど社会生活には無数の期限が存在する。その期限とうまく付き合いながら、自分の人生をコントロールしていく、これが人間の生き方なんじゃないか。とつらつら書きながら、考えている。

選択について言えば、選択と年齢を直接関連づけて考えたのは、「出産」くらいだ。進学、就職、結婚とそれなりに大きい選択を経験してきたが、その選択をする上で年齢はほぼ考慮に入れていなかった。

私が以前、それらを選択をしたのは選択によって得られる目の前のものが欲しかっただけだ。それらが将来に及ぼす影響についてはほぼ考えていなかった。選択したことによって将来何か問題が起こったとしても、その時にまた考えればいい、くらいしか考えていなかった。

高校選択は中学の同級生がいない世界に行きたかったから、大学選択は勉強したい分野があったから、留学を決めたのはその時、中国に住んでみたかったから、台湾で就職したのは日本語教師をやってみたかったのと台湾に住みたかったから、結婚したのはビザが欲しかったから…。

と、書いていると元も子もないような、選択の仕方だ。

その選択の結果、大学では1学年学部全体で1000人のところ、同期7人という超少数コ―スに入ったし、4年の後期から休学して1年留学という一般的な就活コースからは完全に外れ、とにかく台湾に行きたくて、新卒カードも捨てて海外に出てしまい、結婚して台湾定住ほぼ決定…。

私の今までの人生における選択の意義は「目の前の欲しいものを手に入れる」ただそれだけの事だった。

自分の子どもやほかの人には薦められないが、自分が通ってきた道は後悔していないし、選択の場に戻れるとしても、同じように選択するだろう。選択はさほど重要ではなく、その選んだ道でどう生きるか、それが重要なんだと思う…。

次の大きな選択は「出産」だろう。これに関しては将来のことを重視して考えている。私はとても子どもが欲しいわけでも、全然子どもが欲しくないわけでもない。しかも、義理の両親と夫はすでに孫、子どもがいるので、もし私が子どもを産まない選択をしてもさほど影響はないだろうし、義母はもう一人子どもがいれば賑やかになっていいね、と言ってくれているので、その方面からのプレッシャーは全くない。子どもを産んだ場合、産まなかった場合、いつ産むのか、できなかった場合、いつあきらめるのか、今いる子どもとの関係性、日本との関係性、様々なことを考えている。今のところ、どう転んだとしても自分の人生を楽しめそうだなという中間的な結論が出てはいるのだが...。とりあえず、この選択に関しては非常に慎重になっている。慎重になりすぎて年齢という期限のせいで選択ができなくなった…なんてことは避けたい。