tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

玉の輿に乗った、のか?

先日、実家に帰ったとき母が「あなたは玉の輿よね」と何の前触れもなく聞いてきた。「もちろん、そうでしょ。」と答えながらも(夫にお金があるんじゃなくて、その親のお金だけどね)と思っていた。母は続けて、「親戚から玉の輿に乗る人が出るとは思っていなかった、まさか自分の娘がねぇ~」と私の中の母のイメージとは似つかない言葉を発した。

自分でも玉の輿に乗ったとは思っているので、このことについてはたまに考える。
夫は実家の車よりもいい車に乗っているし、今住んでいる家は親の持ち家にせよ、今まで見たこともない大豪邸。義父は「使い切れないほどの財産を持っている」(義父談)ようだし、とんでもない大金持ちの家に嫁いだ、つまり玉の輿に乗ったことはほぼ間違いないだろう。
住むところや日々の食事の心配はいらない。稼いだお金も住居費、水道光熱費、基本的な食費に消えていくことはないので、世間一般的に見て、恵まれていると思う。

ただ、そのお金のせいで縛られるのもまた事実。
今は落ち着いてきているが、義父は「お金に不自由していないのに、どうして働く必要がある?お母さん(義母)は家事でてんやわんやなのに、どうして家にいないんだ。子供たちの面倒を見ろ。」と以前散々言われてきた。彼にとって、私が仕事をすることは遊びに行くことと同等だったと思う。子どもの学費や保険代などはすべて夫と折半してきたし、義父が義母に渡すお金は限られていて、その中でやりくりできない部分は私たちにしわ寄せがくる。例えば、義父がお金を出すといって子どもの習い事も義母のお金が無くなれば、私たちが払わざる負えなくなる。核家族家庭で育った私にしてみれば、習い事のお金を祖父に出させるなんて何事だ、と考えた時期もあったが、私たちがお願いしたわけではなく、義父母がそうしたいといって決めたことだからと、黙っている。

 今の仕事を続けている限り、収入の増加はほぼ望めない。ただ、生活のレベルは多少下がっても、自分のお金で生活できるような、そんな自由がほしいな、と考えている。