tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

今週のお題「部活動」

 中学校、高校と剣道部に入っていて、部活三昧の日々を送っていた。

 剣道部に入った動機は単純で、見学に行った剣道部がかっこよかったからだ。小学校の頃は地域のソフトバレーボールクラブに参加していて、バレー部に入る気満々だった。部活見学の1日目、バレー部は外練(体育館はバスケ部が使うので、外でランニングやトレーニングをする)だったので、バレー仲間となぜか剣道部を見に行こうということになり、見に行った剣道部に一目ぼれしたのだった。顧問は素人で、地域の剣道クラブの先生がときどき練習を見に来てくれていたが、弱小のチームだった。

 高校でも続けたのはどうしてだか忘れてしまったが、高校でも3年間、剣道部に所属していた。高校の剣道部は決して大きい部ではなかったが、顧問は剣道をしている先生だったし、先輩・同期には小さいころからやっている人や中学時代に関東大会や県大会に出場した経験がある人もいたので、中学の頃とは違う、新鮮な環境だった。

 1つ上の先輩が引退し、自分たちの代になると、私はなぜか副部長に選ばれ、悶々としていた。部長は誰もが認めるリーダーシップと技術があった。「私は下手だし、人をまとめるのは苦手です、どうして私が副部長なんですか」と部長だった先輩と副部長だった先輩に直訴した。先輩が言うには「私はまじめに稽古をしている、その姿を評価したのだ」と。その評価はうれしいが、他の部員がサボっているようにも見えなかったので、副部長にされたのはかなり不服だった。

 顧問や部長がいないときの練習の指示や遠征のときの部員のとりまとめなど、かなりプレッシャーに感じでいた。今思えば、その頃の私は他人を見る目がかなり凝り固まっていて、隣の芝生が青く見えるように、部長をはじめ、みんなが強くプレッシャーなんか感じていないんだと思っていた。その見方がさらに自分にプレッシャーを与えていたのは言うまでもないことだろう。

 2年の後半になると同期は私を含め、大学受験のために予備校に通い始めた。固定の曜日に部活を休んだり、早退したりする同期も多くなった。3年になると休まないのは私だけになり、同期が全員休み、私と後輩で稽古をする日もあった。みんなが勉強をしている間、私は部活をしている、と心細くなることもままあったが、そんな日々を続けながら、インターハイ県予選を終え、引退した。

 引退直後は部活に行かない生活になじめず、生活のリズムを崩してしまった。あんなに嫌だった副部長というプレッシャーもすっかり忘れ、剣道部の掛け声と竹刀の音が聞こえる中、「道場はもう私の居場所じゃなくなったんだ」と目に涙をうかべながら、予備校や図書館へ向かう、そんな日々だった。

 高校の部活の仲間とは今もたまに連絡を取っている。引っ越しや結婚など、ニュースがあったとき、一番に知らせるのは高校の部活の仲間だ。高校時代の私の勝手なイメージは卒業後、全くの誤解だと分かった。高校時代、もっと彼女たちと色々なことを話せればよかったなと思っている。私にとって、高校の友だちがいちばん考えを共有できる仲間だ。高校時代、生活の中心だった部活。それを一緒にやってきた剣道部の仲間。彼女たちが私のいちばんの心の友だと思っている。

今週のお題「部活動」