tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

今週のお題「お花見」

東京で桜が満開の頃、台湾台中の桜はほぼ葉桜になっている。品種も違うようで、人が言うには「ヒカンザクラ」というらしい。濃いピンク色の桜で、花を咲かせたあと2週間ぐらいは楽しむことができる。ソメイヨシノとはだいぶ違う桜だけど、それはそれで素敵な桜だ。

今の家に住み始めて、4度目の春になるが、近くに好きな桜の木があった。そんなに大きくはないが、いつもたくさんの花を咲かせ、通勤途中の私を楽しませてくれた。その隣にはスターフルーツの木、マンゴーの木もあり、南国のフルーツがどうやってできるのかわからない私にとって、フルーツができていく過程を見られるのはちょっとした楽しみでもあった。

ところが今年の冬、その3本の木が切られてしまった。その後の様子を見る限り、どうもマンションを建てるようだ。宅地開発のおかげで、私の楽しみは消えてしまった。

今年のお花見は、FacebookInstagramの桜の写真を見ることだ。写真の中から彼らの生活を垣間見るのも楽しい。東京観光から帰ってきた学生が、今年は桜が見られた!と嬉しそうに話してくれるのもまた楽しい。私もいつか、桜の季節にソメイヨシノを見に行きたい。

今週のお題「お花見」

自分の名前

日本、中国(1年弱)、台湾(5年ちょっと)で生活してきたけれど、名前に関してもやもやする部分がある。私の名前の一部である「実」という字は「実」(日本)、「实」(中国 簡体字)、「實」(台湾 繁体字)と3種類の字体がある。サインが必要な時は「実」を使っているが、それ以外のときはその土地に合わせて書いている。中国や台湾で生活し始めたばかりの頃はこだわってどこででも「実」を書いていたが、「この字は何だ?何と読むんだ?(中国・台湾)」とか、「これは簡体字か?(台湾)」とか言われたり、「?」と表示されたり(台湾 病院)、「实」と簡体字で書かれたり(中国・台湾 郵便局)、わざわざ「実」だけ手書きしてくれたり(台湾 裁判所)、抜け字になったり(台湾 病院)、いろいろなことがあった。その後、そのいろいろが面倒になったので、中国では「实」、台湾では「實」と書くようになった。自分の名前だし、全体的なバランスで考えれば、「実」が一番きれいだよな、とも思ったり、もやもやもあるけれど、漢字も例外なく、「郷に入れば郷に従え」というのが波風経たせない一番いい方法だ。

同じように、日本語と中国語で発音の違いもあるわけで、名前が2つあるような感じだ。中国語習いたてのころは面白がっていたので、今でもその頃のクラスメイトとは中国語の発音をあだ名として呼び合っている。

家では義父母が私を呼ぶときは中国語の発音だし、家の外では仕事以外、中国語の発音で呼ばれる。なぜか、漢字が使えず、アルファベットで書かれる銀行は例外だ。

考えてみれば、毛沢東は「もうたくとう」と覚えたし、孫文は「そんぶん」と覚えたのだから、自分の名前の表記や発音でごちゃごちゃ考えることもないのかもしれない。

ただ、一度、夫に台湾語で名前を読んでもらったことがあったのだが、濁音が多かったかなんだかで、受け入れ難かった…。ああ、難しい。

元彼

精神的に疲弊しているとき、よく大学時代の元彼が夢に出てくる。哀れに思ってそうな目で私を見つめてくる。最近、そんな夢を見ることが続いている。余計に疲れる悪循環だ。

別に彼に会いたいとか、男として好きだという感情はもうない。ただずっと夢に出てくる。あの頃の姿のままで。そして、私の苦労を認めた上で、哀れみを露わにされる。

それが、現実ではなく、自分の頭の中で起こったことだと思うとさらに、言いようのない虚無感に襲われる。まだ彼にバカにされたいのか、まだ彼が恋しいのか、彼を失ったことを後悔しているのか、そんな考えが頭の中でぐるぐる回る。

彼と付き合ったのはせいぜい半年といったところだったが、その半年は自分の中の黒歴史で、本当に振り返って思い出したくもない。サークルの幹事長に指名されて、いやいやながらやっていた時期だった。精神的にも辛く、しかも他人を頼ることも他人の気持ちも顧みることもなかったので、ただ1人で空回りしていた。どうしてそんな私と付き合いたいと思ったのか、謎だが、ずっと一目置いていた彼からの告白だったので、舞い上がって、OKしてしまった。

当然私は彼の気持ちを顧みることはなく、自分がいいと思ったことを彼に言い、自分の気持ちを言葉にするのが苦手だったので、彼ならきっとわかっているだろうと、傲慢に甘えてもいた。そんな私に愛想をつかしたのだろう、半年で振られてしまった。「また別の世界で会いましょう」と言う、今思えば謎の言葉を残されて、彼は私から去って行った。

てっきり普通の友だちに戻れると思っていたが、そんなこともできず、私は中国へ、彼は他大の大学院へ向かって行った。

数年前、彼からFBの友だち申請があり、彼の近況については知っているが、会おうという気持ちは全く起こらない。互いに家庭もある。

彼は季節感を大切にしている人で、言葉の使い方が上手だった。詩的な表現も、簡潔な表現もその場にあった表現方法ができる人だった。教養もあり、頭もよかった。彼と話すこと、彼の話を聞くことがとっても楽しかった。お酒も飲める人だった。

私が悔いていることは、大切だった友だちをどうして彼氏にしてしまったのか、この一点だけだ。そう思っている限り、彼は私の夢に出続けるのだろうか。