tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

今週のお題「2018年の抱負」

お正月感のないお正月も6回目。年々お正月に実家に帰りたい衝動が大きくなっている。「次のお正月こそは!」と、去年と同じセリフをそこかしこにばらまいている。今年の年末年始は土日の関係で、12/29~1/1の4連休になりそうなので、大きなチャンスだ。夫も子どもも連れて帰るなら今年の年末しかない!

ということで、今年の目標も「12月末に実家へ帰る」だ。
そして、もう一つ持ち越しの「1人で車を運転できるようになる」これもぜひ達成させたい。

2018年の抱負…と言われるとなかなか書きづらい。
価値観の違いにとらわれず、もっと自分に自由に生きていきたい。
何とか周りに合わせようとする今までの生き方ではそろそろ限界が来ていて、つらい。
周りからは「辛かったら実家に帰って休んでくればいい」、と言われるけど、そんな付け焼刃的な対策をしたところで、一定期間経てばまた、帰りたくなるのがオチだ。変化を恐れず、嫌なところからは素直におりて、それによって生じることに立ち向かっていきたい。
「自分の生き方を変える」
これが、今年の抱負かな。

今週のお題「2018年の抱負」

披露宴まで②

①の続き。

披露宴まで① - tortillaの日記

 その後も紆余曲折あったが、自分の状態が安定してきて、下の子も連れて家族4人で日本へ行く計画も出てきたので、それを機に披露宴の話を進めようかと考え始めた。今更感もあったが、前回結婚式をキャンセルしたことで祖母が悲しそうだったという話や母が「台湾で仕事をすると言って家を出て行って以来、いつの間にか嫁いでしまい、なんとなくあやふやな感じがする」と言っていたことがずっと頭の片隅にあった。夫に話したところ、私の状態が整うのを待っていたと言われたし、義母もうちの両親にとっては大事なことだろうからしたほうがいいんじゃないか。と言ったので、また話を進めることにした。それが、今年の春の話だ。

 結婚式はせず、披露宴だけすることにした。場所は昨年決めた料亭がいい…。でも、去年本予約と衣装合わせの日程を決めたにもかかわらずキャンセルした手前、申し訳なさと恥ずかしさがあったので、昨年の謝罪と私がそこでしたい思いのたけをメールした。

 日程決めは空き状況を聞いて、まず日本の両親妹の希望を聞き、それをもとに義父が占いをしてさらに絞り込み、最終決定をした。予約金の支払い契約のサインなどは両親にお願いし、その他はメールのやり取りで決めていった。私が疑問に思っていた披露宴の意義、私の希望などすべてをプランナーの方に相談し、一つ一つ丁寧に答えてもらった。

 5月の帰国時には衣装合わせと当日の進行の大枠の決定などをした。衣装合わせでは何色の衣装を着たいか、イメージなどを事前に伝えておき、それに合ったものをお店の方が前もって選んでくれていたため、スムーズに決まった。お店の方が子どもたちと遊んでくれたおかげで安心して選ぶことができた。打ち合わせの時は子どもを自由にお庭で遊ばせてくれたので、こちらも集中してできた。(ただ、最後のほうは砂利を投げ始めたので私に怒られることになったが)周りの大人はもちろん、子どもたちの人見知りしない明るい性格にも助けられ、無事に日程通り進めることができた。

 台湾へ戻ったあとは招待状の文面チェック、招待者の決定、スピーチや乾杯のお願い、細かい進行内容など。招待状の送付は両親にすべて任せた。台湾の分のみこちらで。

 9月の初め、いとこの結婚式に合わせて私一人で一時帰国した。その時には髪型のリハーサルと会場の花・プランナーさんとの打ち合わせと、2日に分けて行った。髪型はかつらじゃいやだし、洋髪かなと思っていたが、私の髪の長さなら地毛で文金高島田を結ってもらえるとのことだったので、結ってもらうことにした。まさかそんな体験ができるだなんて思っていなかったので、とても嬉しかった。花は秋らしい季節感を大切にしたものにしてほしいとお願いをした。スピーチは夫のいとこ、私の伯父にお願いし、それぞれに訳を付けることにした。それだけだと少し間延びしてしまうかもしれないとアドバイスをもらい、台中の紹介を組み込むことにした。席札は母に手書きで書いてもらい、そこに私がメッセージを書くことにした。

 台湾に戻ったあと、事前にいとこ、伯父からスピーチの原稿をいただき、それを夫と二人であーでもない、こーでもないと言いながら、完成させた。披露宴準備唯一の共同作業(笑)台中紹介については夫といとこが快く引き受けてくれた。それを日本語に訳したものの、観光案内の域から出ず、ぱっとしたものが作れなかった。お見送りのときに台中のパイナップルケーキベスト3を送ることを決定。

 そうこうしているうちに当日10日前になり私が先に帰国、司会の方とプランナーさんと最後の打ち合わせをした。台中の紹介に関して、自分の生活と結び付けるといいかもしれないとのアドバイスをもらい、夫に作ってもらったものを使って編集。自分たちが行った時のエピソードやその時の写真、家からの所要時間を書き込んで、来ていただいた方に資料として配布することにした。その他にも席札のメッセージや、挨拶、手紙の内容などもほぼ考えていなかったので、それを用意して翻訳したりなどそれなりに忙しかった。あわただしい中、前日には夫と子どもたち、義両親といとこを迎え、なんとか準備終了。一人で先に実家に帰りゆっくりする予定だったのに…。

披露宴まで①

結婚式をしようと言う話はだいぶ前から出ていた。正確には覚えていないが、入籍後からだろうか。その後ネットでめぼしい場所をいくつか絞って、昨年秋に夫と実家へ帰り、見学に行った。

そのときにこだわった条件は、
和装で結婚式・披露宴ができるところ。
神前式ができるところ。
呼びたい友人は少なかったので、こじんまりとした式にも対応できるところ。
実家から近いor交通が便利なところ。

必ず和服が着たいと思っていた。できれば洋装はしたくなかった。チャペルで結婚式は絶対にしたくなかった。親兄弟はともかく、人前でいろいろ誓い合うなんて、あり得ない…と思っていたので、人前式もあまり考えていなかった。(言葉の壁もあるし)

大規模な披露宴にするほど友だちもいないが、来ていただいた方とゆっくりお話をできないのでは披露宴をする意味がないなとずっと思っていた。私はこれからも台湾で生活するから、日本の友人や親戚と会う機会は少ないままだろう。もしかしたら、特に親戚の方とはもう会うことがないかもしれない、と考えると余興やスピーチ、お色直しで時間をとって、彼らと話す時間が無くなってしまうのはとても悲しい気がした。それなら本当に呼びたい方たちだけを呼んで、自由に話せる時間を多くとりたい、と思った。エンターテイメント性はないが、私が求めているものはそれではなく、人と人のつながりだ。それに対応してくれるところ…というと一般的な式場は微妙だなと思いつつも、「いろいろ見たほうがいい」という親からの助言を受け、和婚に対応している式場、神社、料亭を見学することにした。

見学の際は、自分たちは台湾に住んでいるので、頻繁に打ち合わせすることはできないこと、できればこの帰国時に衣装を決めてしまいたいことを伝えた上で、スケジュールと見積りを作ってもらった。3か所とも仮予約を取ったあとで、両親、夫と相談して、私が一番気に入っていた料亭にすることに決めた。

その料亭のHPや紹介を見たときから、雰囲気と立地とすべてが私の好みだった。いろいろな要望に対応しているみたいだったし、子どもたちが飽きてしまってもお庭で遊んだりできそうだなと思った。

 しかし、その日の夜、ある出来事をきっかけにすべてをキャンセルすることにした。その背景についてはその当時に書いた日記がある。

結婚式取りやめ - tortillaの日記