tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

初めての台湾

Face Bookの「過去のこの日」という機能を見ていたら、台湾に初めて来たときの写真をアップしたアルバムが出てきた。その写真を見ながらその時を振り返ってみたい。
ちょうど、中国での留学生活が終わって日本に帰らなきゃいけなくなったとき。日本に帰りたくなかった私は友だちの誘いにさらっと乗って台湾行きの航空券を買ってしまった。「まぁ、1年弱中国語勉強してきたし、中国でも一人で気ままに旅行してたし大丈夫でしょう~」と即決。ただ日本に帰らないのはまずいので、8月までには日本に帰る!と決めておいた。

あの時は中国(大陸)だって台湾だって中国語話すんだし、大差ないだろう~みんな台湾いいっていうけれど、ホントに楽しいのかよ~と斜に構えて台湾に来た。

北京から飛行機で約3時間、桃園空港に着いた時の最初の感想は
「本当に繁体字を使っているんだ」
今の自分からしてみれば「なんだこいつ!?」という感じだが当時は本当にそう思った…。

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↑当時、驚きが収まって、驚きを収めようと撮った写真
北京首都国际机场から桃園國際機場への移動。ホントに漢字が違う!!!!!

とにかく蒸し暑い。中国北方の乾燥した天気に慣れていたので、湿度は脅威だった。台湾旅行の始まりの印象はよくない…。

無事台北市内に到着し、宿も決まり、散策開始。
夕方には国旗降納する場面にも出くわした。国歌の伴奏とともに国旗が降ろされていった。(←友人の解説)前日まで毎日のように聞いた国歌でも、毎日のように見た国旗でもない。

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↑降りてきたところでやっと我に返り撮影

ローマ字のピンインじゃない!本当に注音符号が使われていた!どんな発音かさっぱりわからない!!!!!!!

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↑公共の場で注音符号が使われているのを初めて見た。

初日の写真は中国(大陸)との違いに驚いて撮ったものばかりだ。
初日夜、宿に帰った後、急に寒気と頭痛がして高熱も出た。次の日は宿で1日過ごすようかなと思いながら、布団にもぐった。幸い夜中ごろに熱も引いて症状もなくなった。何だったのだろうと思ったけれど、今思えば熱中症だったのだろう。

続いて2日目もややカルチャーショック。
バイクがきれいに並べてある!!!!!!
バイクがテキトーに並べてある光景に慣れてしまっていたので、きちんと並べられている光景にやや違和感を感じた。

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↑違和感を感じたことを忘れないようにパシャリ。

何日目だか忘れてしまったが、九份にも行った。
その後何回も行ったけれど、こんなにきれいに晴れていたのは最初で最後だ。

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食べ物はどれもおいしかったのだが、おなかを壊してしまった。トイレを見つけたら、必ず入らなければ、お腹が痛いし漏れそうになる…。中国生活ではクラスメイトは片っ端からおなかを壊してたけど、私はそんなことはなかった。まさか台湾でお腹を壊すなんて…。

2日くらい経ちお腹が治ってきたころ、台北駅の地下街をふらふらしていたら、何やら懐かしい曲が聞こえてきた。おじさんがサックスで演歌を吹いていた。昔日本の植民地だったことは知っているけれど、戦後世代であろうおじさんが演歌を吹いているなんて!と驚いた。疲れていたので、舞台の前のベンチに腰掛けた。演奏が終わると、隣に座っていたおじさんが、「細雪!」と叫んだ。サックスおじさんはリクエストに応え、細雪の演奏を始めた。私は驚いて思わず隣のおじさんに「日本の歌をよく聞くんですか?」と聞いた。おじさんは「お?日本人かい?ほら見て見て」とかばんからスポーツ新聞の切り抜きを取り出して、「ほら、阪神巨人戦だよ。ここに写っているのは俺さ。」と嬉しそうに教えてくれた。おじさんはタイガースファンだったのだ。1年に1回は阪神戦を見に行くと言っていた。しばらく演歌を聞いているうちに「日本に帰るのもいいかもしれないな」と思えた。

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↑おじさんは今も変わらずサックスを吹いているのだろうか。

また別の日、台北孔子廟に行った日のことだ。
おじいさんが、私に何かを話しかけてきた。何を言っているか全然わからなかったので、中国語で「すみません、わかりません。」と答えると、日本語で「日本の方ですか?北京語が上手ですね。」と返ってきた。とても流暢な日本語でびっくりしていると、おじいさんはアルバムやらいろいろ持って来て、話を始めた。昭和天皇のいとこの方と撮った写真とかその方からもらった手紙、孔子廟に訪れた日本人からの手紙などを見せながら、台湾と日本のことをいろいろ話してくれた。ちょうどお昼時だったので、ご飯までごちそうしてくれた。その後、孔子廟に行ったときにもお会いして話したが、それからももう4年以上経った。お元気にしているだろうか。

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↑写真を撮らせてほしいと頼んだら、にっこりとピースをしてくれた。

まだまだ、楽しいことおいしいものもたくさんあるが、あとは旅行のガイドブックに書いてあることとそう大差ない。その時台湾にいたのは1週間ほど、しかもほぼ台北にいたが、すっかり台湾に魅了されてしまった。この台湾旅行がなければ、日本に帰っても、帰ってきたくなかったとぐずぐずしていただろうし、今台湾で生活していることもなかっただろう。

年齢と期限と選択と

運命を変える力は、あなた自身の中にある。誰かに決められた期限なんてない。」「運命を変える力は、あなた自身の中にある。」これには共感できるが、「誰かに決めれらた期限なんてない。」これには全く共感が持てなかった。
時間の流れは誰にでも平等で、早く大人になりたくても、大人になりたくなくても、20歳になれば大人だ。法律という縛りだけじゃなく、人々は20歳前後、あるいはその人が学生でなくなった時点で大人として扱うようになるだろう。大人になりたくなくても、子どもでいられる期限は必ずある。
出産にも決まった期限がある。これは誰もが直面する期限で、なかなか思うように扱うことが難しいものではないだろうか。
その他にも宿題の期限、プレゼント応募
の期限、旅行申し込みの期限などなど社会生活には無数の期限が存在する。その期限とうまく付き合いながら、自分の人生をコントロールしていく、これが人間の生き方なんじゃないか。とつらつら書きながら、考えている。

選択について言えば、選択と年齢を直接関連づけて考えたのは、「出産」くらいだ。進学、就職、結婚とそれなりに大きい選択を経験してきたが、その選択をする上で年齢はほぼ考慮に入れていなかった。

私が以前、それらを選択をしたのは選択によって得られる目の前のものが欲しかっただけだ。それらが将来に及ぼす影響についてはほぼ考えていなかった。選択したことによって将来何か問題が起こったとしても、その時にまた考えればいい、くらいしか考えていなかった。

高校選択は中学の同級生がいない世界に行きたかったから、大学選択は勉強したい分野があったから、留学を決めたのはその時、中国に住んでみたかったから、台湾で就職したのは日本語教師をやってみたかったのと台湾に住みたかったから、結婚したのはビザが欲しかったから…。

と、書いていると元も子もないような、選択の仕方だ。

その選択の結果、大学では1学年学部全体で1000人のところ、同期7人という超少数コ―スに入ったし、4年の後期から休学して1年留学という一般的な就活コースからは完全に外れ、とにかく台湾に行きたくて、新卒カードも捨てて海外に出てしまい、結婚して台湾定住ほぼ決定…。

私の今までの人生における選択の意義は「目の前の欲しいものを手に入れる」ただそれだけの事だった。

自分の子どもやほかの人には薦められないが、自分が通ってきた道は後悔していないし、選択の場に戻れるとしても、同じように選択するだろう。選択はさほど重要ではなく、その選んだ道でどう生きるか、それが重要なんだと思う…。

次の大きな選択は「出産」だろう。これに関しては将来のことを重視して考えている。私はとても子どもが欲しいわけでも、全然子どもが欲しくないわけでもない。しかも、義理の両親と夫はすでに孫、子どもがいるので、もし私が子どもを産まない選択をしてもさほど影響はないだろうし、義母はもう一人子どもがいれば賑やかになっていいね、と言ってくれているので、その方面からのプレッシャーは全くない。子どもを産んだ場合、産まなかった場合、いつ産むのか、できなかった場合、いつあきらめるのか、今いる子どもとの関係性、日本との関係性、様々なことを考えている。今のところ、どう転んだとしても自分の人生を楽しめそうだなという中間的な結論が出てはいるのだが...。とりあえず、この選択に関しては非常に慎重になっている。慎重になりすぎて年齢という期限のせいで選択ができなくなった…なんてことは避けたい。

夏が来た 渡辺美里

夏の歌というと何曲か思い浮かぶ。
高校の部活の思い出と一緒に思い出すゆずの「夏色」、大学受験の思い出と一緒に思い出すポルノグラフィティの「ハネウマライダー」、中学生の頃の夏休みの思い出と一緒に思い出すZONEの「secret base~君がくれたもの」とWhiteberryの「夏祭り」、ざっと挙げるとこんなものだろう。

secret base - tortillaの日記

あとひとつ、忘れてはいけない夏うたは渡辺美里の「夏が来た!」だ。
もともとは親が渡辺美里のアルバムをカセットにダビングして車の中で聞いていたのだが、私も車に乗るとそのカセットを聞くことになるので、聞いているうちにその中のひとつ、「夏が来た!」がとても気に入った。

「夏祭りには帰ってこいよ」
暑中見舞いの絵はがきには
たった二行のきみの言葉
私の心を決めさせた

とか

本当の夏が来た 生きているまぶしさ
本当の夏が来た もう友達じゃないきみがいる

とか、夏のさわやかなまぶしさを感じる。もちろんいつもの妄想癖で、そんな「絵はがき」来ないかなとか、「きみ」みたいな人が現れないかなとか、も考えていたけれど。

お盆休みには毎年長野へ家族旅行をしていて、その旅行中、山道で窓を全開にして、妹とよく大声でこの曲を歌っていた。涼しい風に吹かれながら、気を許せる仲間と歌うのは本当に気持ちがいい。

久々に「夏が来た!」を聞いて、またこんな夏休みを過ごしたいな…と思ったけれど、アラサーが親の運転で旅行してその後ろで大合唱…なんて図を思い浮かべると、思い出としてそっとしまっておこうという気になる。

渡辺美里 「夏が来た!」(Live in Seibu '91 + MV) - YouTube