tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

死にそうになった夢(人口抑制篇)

人口抑制のために人が殺されることになり、その殺される人に選ばれた話。

時は高校時代。部活に明け暮れ、青春を謳歌していた。そんなところへ1通の手紙が送られてきた。「あなたは潜水艦で海底へ送られることになりました。期日は…(以下覚えていない…)」
その手紙を読み終えたが、納得いかない。「私は公立の進学校に在籍し、行政から将来を期待されている人間ではないのか?どうして私が選ばれたのか?」その疑問を近くにいた母にぶつけると、母は冷静に、「結局のところ、必要とされていないのよ。逃げないで、国の指示に従ったほうがいいわね。」という答えが返ってきた。
「母は自分の子どもの死が悔しくないのか、悲しくないのか?」疑問と絶望の中でその期日が迫ってくる。高校のクラスメイト何人かも潜水艦に乗ることになり、同じ運命を負ったもの5人で逃げようと画策するが、どうすればいいかもわからない。結局何者かに捕らえられ、抵抗することもなく潜水艦に乗った。
潜水艦は遠隔制御されており、自分たちではどうすることもできない。どこかの海底へ近づくと、「間もなくすると自動的にエンジンなどのすべての装置が停止する。その後、酸素濃度が徐々に低下し、数分苦しむことになるだろう。」といった説明がなされた。説明のとおり、すべての機器がストップし、しばらくすると息苦しくなってきた。友人たちと最後に家族に言いたいことは何かと話し始めるが、話せば話すほど息が苦しくなってくる。
…といったところで目が覚めた。母への失望が一番印象に残っていたが、そんなことは起こったことがない。どんな考えがこんな夢を見せたのか、逆に自分を責めるような嫌な気分になった。

 

ネット上での発言

ネット上での発言についてたまに考えることがあるけれど、この記事読んでなんだかすっきりした。

ネットで自分の言葉を発するようになったのは中学生の頃で、当時発見した剣道愛好家の掲示板サイトみたいなところだ。そこで知り合った人とメールのやり取りまではしたことあるけれど、実際に会ったことはない。合同稽古とか興味あったけれど、自分が弱小だったので行かずじまいだった。
それから発言からはしばらく離れて、大学の初めにmixiを始めた。日記をよく書いていたけれど、マイミクが増えるにつれこの人には見られたくないなとかどんな人からあしあとがついてるのかなとか結構気になっていた。そしてマイミクからは見られたくない、でも誰かに見てほしいなと書き始めたのがはてなダイアリー。先輩に紹介されて何気なく始めたものの、読書の記録を書いたり、愚痴を書いたり、希望を書いたり、まぁ今読み返すと恥ずかしくなるようなものばかり(笑)
留学を機にフェイスブックをはじめた。周りの人が徐々にmixiからフェイスブックに移行していった頃だったと思う。mixiは実名じゃないから怖くないとか言われていたのにフェイスブックは実名が原則でプロフィール写真には自分の顔を出している人も多かった。時代って流れてるんだな。その時つくづく感じたものだ。という私もフェイスブックの利用に抵抗はなく、いろいろな写真や思いをのせた。今もそれは同じだ。私は閉鎖的に使っていて、友達以外に公開している情報はあまりない。

それにひきかえ、インスタグラムやはてなブログは多くの人に公開している。インスタは自分が撮った写真に興味がある人と交流できればいいと思っている。ブログは自己満足手的なわけのわからない文章を書くのではなく、あとから読み返したときにわかりやすい文章を書きたいなと思って、ある程度は読み手を意識して書いている。

自分のノートに文章を書くのとインターネット上に文章を書くのの決定的な違いはノートは自分のものであるのに対し、ネットはみんなのものであるということだ。見られたくない人に見られても、ノートなら盗み見とかプライバシーがどうだ言えるけれど、ネット上の文章はそんなことは言えない。誰が見ても自由なのだ。
だから、冒頭の記事の中のお母さんは何一つ悪いことはしていないし、母親の行動に対して子どもが不快な思いをしたとしても、子どものネットに対する認識が甘かっただけだと思う。

暮れに友達が遊びに来た時にこのブログについての話題が出た。自分からブログの存在を積極的に伝えたことがない人からの初めての指摘だったので、ちょっと驚いた(笑)でも、インスタにリンクを張ったのも、自分の身近なひとにも読んでほしいなと思ったのがきっかけだったので、よかったなと思っている。

毎回文章の終わり方に苦労しているのだけれど、この記事で言いたいことはネットの世界は大海と似ていて、存在を主張しなければかき消されてしまうけれど、その存在を見つける自由は誰でも持っているということだ。

今週のお題「2017年にやりたいこと」

年が明けて1週間、なぜか気分的には1月が終わりそうな感じなのですが、年越しを寝過ごしてからというもの、箱根駅伝のチェックくらいしか新年らしいことをしていなかったので、お題に従って、新年っぽいことをしてみようと思う。

「台湾に住んでるから、新年と言えばやっぱり旧暦なんだよね。」と言い訳もできないこともない。旧正月は一大イベントとして認識してはいるものの、新しい始まりとは感じられないので、私にとってはまだ1/1が新しい始まり。1/1に日付が変わるころはカウントダウンしたり、花火が上がったりしているけれど、彼らにとってはまだ申年だ。酉年は旧暦の1/1~。その感覚は旧暦が根付いている証拠だよなと思う。

さて、話がそれたけれど、「2017年にやりたいこと」。
それは12月末に日本の実家へ帰ること(笑)
年明けにもう年末の話か!という感じだが、今年こそ実現させたいことで、来年のお正月は日本で過ごしたい。「お正月どこで過ごすか。」とか「夫の(妻の)実家でお正月過ごすの気を使うな」などとの心配事がないのはメリットだよなと思っている。夫も日本の年越しを体験してみたい~と賛成してくれているので、よほどのことがない限り実現できそうだ。ただ、数年間台湾で生活してみて、おせちって台湾人に好まれないんじゃないかと。。日本人のふしぎな習慣としてよく挙げられるのが「冷たいお弁当を食べる」ということだ。料理はあつあつのものがいいようだ。(涼拌菜という冷たくして食べるおかずもある。)おせちって基本的に前日までに作ったもの。お重に入ってて冷たいお弁当みたいだよね。。それを新年のごちそうとしていることをどう感じるんだろう。一抹の不安がある。まぁ、本当に受け入れられないなら、レストランもあるし、あったかーいお雑煮だってある。何とかなるだろう。子どもも雪で遊びたいって言ってるし、ついでにどこか雪がたくさんあるところに連れて行ってあげられればいいなと思っている。

一番やりたいことのほかには
・ひとりで車の運転ができるようになる。
雨の日の子供の送り迎えとか、将来的に出産・子育てしたり両親の世話をしたりするには車が運転できることは必須だと思う。
・結婚式について何かしら話を進める。
やっぱり親は娘の花嫁姿を見たいだろうし、親戚にもきちんと報告したほうがいいだろうし、日本の友だちが集まる機会もそうそうないだろうし、何かしらやったほうがいいんじゃないかとは思っている。

ま、そんなところかな。

今週のお題「2017年にやりたいこと」