tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

妊娠発覚〜流産⑤

tortilla.hatenablog.com

④の続き

手術は夜6時からだったので、夫は仕事を早めに切り上げてきてくれた。受付で同意書に記入して、2人分の身分証を提出…費用は診察の時の費用と同じでびっくりした。(台湾の健康保険はすごいなぁ)

案内された手術室は分娩室の隣のようで、外に用意されたいすには孫の誕生を待っているのだろうおじいちゃんおばあちゃんが何組かが座っていた。名前を呼ばれて手術着に着替えて、点滴も始まった。「先生がまだ来ないから」と外で待っていると、なんか寂しいなと思った。孫を心待ちにしているおじさんおばさん、夫は「上の子が生まれるのここで待ってたな」と言ってるのに、私はこれからここで生まれることのなかった赤ちゃん(とも呼べないほど小さい何か)を取り出す。早く時間が過ぎてほしいと思っていたところで、手術室に呼ばれた。

手術室では内診台のような台に載って、動いてしまわないように念のため、と説明されて、両手首を拘束され、左の指に心拍計をつけられた。その後、静脈麻酔をされ、眠ってしまった。気がついた時には全てが終わっていて、ストレッチャーの上に載せられ、移動しようというところだった。

麻酔が切れて、歩けるようになったのを確認して、帰宅の準備。いくつか薬をもらい、3日後の診察の予約を取り、帰宅した。出血はあったが、そのほかは特に変わったところはなかったが、また眠くなってきたので、すぐ眠った。

診察まではまた寝て、食べて、寝て…という生活をした。まだ食欲はほとんどなかったので、食事はしたくなかったが、回復のため...と思い、少しは口にした。

術後1回目の診察は手術の執刀医は休みだったので、他の先生が診察をした。腹部エコーをして、特に問題は見受けられないが、出血はまだ見られるので、子宮の収縮促進剤と止血剤を処方された。その後、2回同じような診察を受け、終了。術後3回目の生理までは避妊をすること、しばらくは重いものを持ち上げないこと、疲れをためないことなど、いくつかの注意を受けた。

術後1週間後には仕事の許可も出たので、すぐ仕事に復帰したいとマネージャーに申し出た。家にこもっていろいろうだうだ考えてしまうことに耐えきれなかった。

通院のときもたくさんの妊婦さんを目にするのが、嫌だった。単なる嫉妬だというのはわかりきったことけど、初めての診察のときは「妊婦一人一人蹴り飛ばしてやりたい!」と待合室で待っている間、イライラしていた。気を紛らわすために受付票で折り鶴を追ってみたりしたけれど、全く気がまぎれない。しかもそんな嫉妬してる自分も嫌になる。悪循環。

夫が残念がっているのは感じるものの、自分の子どもがいることにこれまた嫉妬。慰めてくれても「自分の子どもがいる人に私の気持ちがわかるわけない!」と突っぱねたりしてしまった。(後日謝罪した)

それでも、最後の診察のときに偶然生まれたばかりであろう赤ちゃんを見かけたとき、「かわいい~自分もやっぱりほしい。」そんな気持ちが湧いた。それを夫に伝えると、「また、3か月後がんばろう!」と言ってくれた。

とりあえず、この記事はここで一区切り。

tortilla.hatenablog.com

tortilla.hatenablog.com

tortilla.hatenablog.com

tortilla.hatenablog.com

妊娠発覚〜流産④

だいぶ期間が空いてしまったけれど、③の続き

tortilla.hatenablog.com

休んでいる間はひたすら眠った。自分でもよくこんなに寝られるな、と思うくらい寝た。朝、いつも通り子どもを起こして、ご飯を食べさせた後、学校や幼稚園へ連れて行き、また寝る。昼ご飯を食べたあと、また寝る。夕方ごろ起きて、晩ご飯を食べて、横になって、うとうとして、9時頃子どもたちと一緒に寝る。そんな生活を1週間も続けられたんだから、どれだけ睡眠を欲していたのだろう。

寝ていない時間はふさがりそうな気分をどうにか紛らわそうと、本を読んだり、本を読んだり、本を読んだりしていた。ケータイ見てると無駄に色々ググって、また落ち込むのは目に見えているし…。

相変わらず食欲はなかったけれど、無理矢理食べた。お義母さんも引き続き妊婦にいい献立を考えて作ってくれていた。(このころから記憶が曖昧になってきてる)

そんな怠惰な1週間を過ごし、再診の日が来た。夫に付き添ってもらった。腹部エコーでは相変わらず、心音は聞こえず、胎嚢の大きさは小さくなっていた。念のため経膣エコーの検査もしたが、心音は確認できなかった。

出血もなかったので、流産の手術をすることに決まった。手術前6時間は飲食禁止、手術後麻酔が切れたら帰宅OK、当日は夫婦の身分証とサインが必要なことを確認した。

診察室ではまだ実感も湧かず、ただ、「あの食事からは解放されるんだ…」とだけ思った。医者も「初期流産はほぼ受精卵の問題で、まだ若いから、次がある。そんなに気を落とさないで。」と言ってくれた。

家に帰り、義母に「ダメだった」と報告すると、「どうしてこんなことになったの?!どっちの問題なの?!」と聞かれた。その馬鹿げた、と言うより、配慮のかけらもない発言に頭にきた。泣き叫びたいのを必死にこらえて、静かな声で、「あなたの息子さんは2人もお子さんを生みましたよね。それに私よりも若いです。私は卵巣を1つ取ってしまっています。誰の問題かは明白なんじゃないですか?」とだけ言って、その場を離れた。その夜のことはもう覚えていない。

次の日、ずっと心配してくれていた友人と連絡を取り、その夜、彼女の働いているイタリアンレストランで会うことにした。1週間ずっと家にこもっていたし、もうその理由もない。ちょうど子どもたちも母親のところに行く予定になっていたので、夫と一緒にそのお店に行って、楽しいひと時を過ごした。たくさんは食べられなかったけれど、久しぶりに食べたピザはとてもおいしかった。

続く

tortilla.hatenablog.com

tortilla.hatenablog.com

tortilla.hatenablog.com

妊娠発覚~流産③


tortilla.hatenablog.com

②の続き。

ある日、夫が花束を買ってきてくれた。どうしてか聞くと、「今まで花をプレゼントしたことないし、子どももできたし、プレゼントしたくなった」と言ってくれた。急いで花瓶を買いに行き、水切りをしたり、何とか長持ちさせようと手入れに励んだ。紫を基調とした花束で落ち着いた上品な美しさがあって、下の子も気に入っていた。枯れてしまう前に押し花を作ったり、楽しませてもらった。

そんな日々を過ごしているうちに、3回目の診察の日が来た。今日心拍が確認できれば、母子手帳をもらいに行けるかなーと仕事の間も楽しみにしていた。いつもの通りエコーをしながら、医者は「あまり大きくなっていませんね。心拍も確認できませんから、流産かもしれません。もう1週間様子を見ましょう。出血があった場合はすぐ来てください。」と言った。その医者はもともと感情を表に出さない淡々とした話し方をする女性で、何もかもがいつも通りだった。私もその時は「そうか、流産か」と思ったくらいで、その他のことは何も頭に浮かばなかった。夫にはその日診察に行くことを伝えてあり、いつも診察後簡単にLineをしていたので、いつもと同様、「流産かも、だって」とLineして、帰路に就いた。

家に着いて、携帯を見ると、夫からいくつかのLineメッセージと何件かの着信があった。返事のLineをすると、すぐ電話がかかってきた。診察結果を説明すると、夫は「流産を防ぐ注射があるから、夜一緒に病院へ行って打ってもらおう」と言ってくれた。どんなものだろうと思って、ネットで調べてみると、妊娠を継続させるためのホルモン剤のようだった。

義母も子どもを連れて帰ってくると、すぐ私の部屋に来て、「どういうこと!?」と私に聞いてきた。夫から話がいったのだろう、義母にも診察結果を説明した。「どうしてこんなことになっちゃったのかしら。とりあえず、夜2人で病院へ行ってきなさい。夕食まで休んでいなさい」と言われた。一人静かに部屋の中で座っていると、だんだん現実がわかってくる。前妻がそこで出産したからと避けていた病院へ行くことになってしまった。初期流産はよくあることだと聞いていたが、まさかこんな身近だとは思わなかった。これからどうなるんだろう。頭の中でぐるぐる回る不安感と強い疲労感。知らない間に寝てしまったようで、ドアの開く音で目が覚めた。夫が帰ってきた。「夕飯を食べて、病院へ行こう」と言われ、準備をした。病院について受付に確認すると、夫が知っているという医者が診察しているということだったので、その先生にかかることにした。

エコーをしてもらうと7週目の大きさ(実際は8週目)だけど、心拍はない。でも異常も見当たらないので、排卵が遅れていたのかもしれないし、注射を打って一週間安静にして様子を見よう、ということになった。少しほっとした。
1週間絶対安静できるよう、職場のマネージャーに経緯を説明して、休みをもらうことにした。心拍が確認できるまで報告しない、ということに何も意味がないことがわかった。

 続く

tortilla.hatenablog.com

tortilla.hatenablog.com