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tortillaの日記

文章を書くのは日々のできごとの整理。

髪型を変えるのは気分転換

今の髪型は肩にかかるくらいの長さだ。前髪は眉毛のあたりでまっすぐに揃えている。急におかっぱみたいな前髪にしたくなって、自分で切ってみた。

そもそも美容院に行くお金がもったいないと思っているので、前髪くらいなら自分で切っている。思いっきりすいて軽くしてみたり、アシメにしてみたり、市松人形のようにまっすぐ重くしてみたり。3回に1回くらいは失敗するが、失敗しても伸びるからそんなに気にしない。から上手にもならないのだろう。

髪型は思いっきり短く切ってみたり、ボブにしてみたり、伸ばしてみたり、軽くパーマをかけてみたり、その時の気分に合わせている。去年の今頃、気分転換にバッサリ切ったが、伸びてきて今の髪型になっている。もうちょい伸ばしてから、パーマでもかけようかなと思っているが、どうなることやら。

今週のお題「髪型」

幻のゴールデンウィーク

去年は日本のゴールデンウィークの恩恵を受けたが、今年はそれもなさそうだ。

今週のお題「ゴールデンウィーク2016」再会 - tortillaの日記

台湾ではメーデー(労働節)が休みなので、今年は4/29-5/1、三連休になる。私が働いている塾(語学学校)では(英語を教えている)キリスト教徒の先生に配慮してか、5/1の休みを12/25に振り替えているので、私にとっては通常の休日と変わらない。

ゴールデンウィークといえば、今私が使っている日本語の教科書に「ゴールデンウィーク」という単語が出てくる。  

教科書の設定は学校の年間スケジュールについて教師と学生で話すという場面だ。動詞を初めて勉強する課で、初級のはじめのレベルだ。

ゴールデンウィーク、何をしますか?

公園でバーベキューをします。

こんな場面で使われる。

日本で生活している学習者にとって「ゴールデンウィーク」は生活に欠かせない単語だと思うが、こちらの学生の生活からは遠い単語だ。「黄金週」という中国語訳もあるが、大陸の1週間ほど続く休みを表す言葉なので、訳だけでは済ませられない。

授業では簡単にゴールデンウィークの祝日を紹介することにしている。「昭和天皇の誕生日、憲法記念日、こどもの日(端午の節句)…休みと休みの間のみどりの日…。」

端午の節句はどうして5/5なんですか?」という質問もよくある。「じゃあ、台湾の端午節は旧暦の何月何日ですか?」と聞き返すと大半の学生が納得する。昔からの年中行事に関しては旧暦を使うので、ピンと来ないようだ。

その後、もっと関心がある学生からは「どうして端午の節句がこどもの日なんですか?」という質問が来る。端午の節句は名前こそ同じだが、することはまるで違うので、レベルと学生の興味関心に合わせて解説する。このことについては機会があればひとつの記事にしたい。

2、3日前、「日本では今9連休なんですね!ニュースで見ましたよ!」と学生に話題を振られた。台湾では大きなニュースがなくても、日本の様子を毎日のように報道している。その学生は「いいですね〜私たちは毎日仕事です。」と話を続けた。そう、私たちは毎日仕事だ。

私たちにとってゴールデンウィークは遠い出来事、教科書に出てくるさほど重要でない単語なのである。

今週のお題ゴールデンウィーク2017」

春の空は継母の心のよう

最近の天気は暑くなったり、涼しくなったり、急に雨が降ったり、カンカン照りになったり、と変わりやすい。端午の節句(台湾では旧暦の5月5日)まではそんな日々が続くが、それを過ぎれば本格的な長~い夏が待っている。
今日、たまたま授業で天気の話になり、台湾語には「春の天気は継母の気分のように変わりやすい」という言葉があると聞いた。日本語で言う、「女心と秋の空」、「男心と秋の空」そんな意味の言葉だろう。

私もいちおう継母なので、「やっぱ継母のイメージってそんなもんなんだよな」と思った。
継母と聞いて真っ先に思い付くのは「シンデレラのお母さん」だ。シンデレラのお母さんには自分の連れ子もいて、その子たちもシンデレラにつらく当たる。
グリム童話のひとつ、「ヘンゼルとグレーテル」の中で、ヘンゼルとグレーテルを捨てるのは母親だったが、それでは残酷すぎるということで継母にしたというエピソードもあるらしい。継母だったら残酷でも許されるのか…。
まぁ、とにかく印象が悪い。
母の愛情の偉大さを演出する道具としての継母だろうか。

昔はそんなイメージにうんざりしたこともあったが、今ではどうでもよくなった。

同じ継母というくくりでも、連れ子との関係は実に様々だから、自分が子どもと夫とどんな関係を築きたいかが重要だと思うようになった。
私の場合は、子どもたちは母親と連絡を取ったり、会ったりしているし、生まれたときから世話をしてくれているおばあちゃん(義母)も一緒に住んでいるので、母親になろうとすると自分が壊れてしまう。だから、私は子どもが私のことを家族だと認めてくれればそれでいいと思っている。

良し悪しあるけど、今はそれが一番丸く収まりそうだと思っている。